1991年3月に娘の春休みに乗じて
嫁と娘のフィリピン帰省という名目の
”凱旋帰国”を果たします・・・
滞在二日目は嫁異母姉妹夫婦からの歓迎と
夫婦の”お披露目”的な事に終始していたが
今までのP国滞在では最小限の支出でありました・・・
(ボウリング場ボーイへのチップ20Pだけ)
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おはようございますHamreyです
三日目のこの日はセブ島へ移動するのですが
荷物の重量を考えて機内持ち込みへの
調整をしてから空港へ向かいます・・・
(成田では2万5千円の超過料金を払った…)
機内持ち込みは一人10kgだったが
これは国際線での重量で国内線は7kgと
昔のガイドブックに書いてあった・・・
と云って持ち込む物で一個が重い品物と云えば
やはり1㍑入りのキッコーマン(約1kg)となるが
ネットで拾った写真
全部を持ち込んでも7個(7kg)であった・・・
というかそれだけの水分の容器を持ち込む事が
可能なのかとなり不安となって来たので
一人一個(計3kg)に留める事にします・・・
だいたいこの事は想定してなかったので
機内持ち込みバッグは小さいのしか持っていない・・・
損な事で半ば諦めモードで荷造りは完了して
ホテルをチェックアウトしてタクシーで
国内線空港(現T-4)へ向かいます・・・
(この日はTatayもやって来ない…)
国内線空港に到着すると合計4個(約80kg)の
荷物を運ぶのにはポーターを雇いますが
この辺りは嫁が率先して行ってくれました・・・
そして空港入口のチェックでも嫁が奮闘していたので
ワイと娘M子はボケ~としているダケ・・・
口撃力の凄い”ビサヤ女”の嫁に
入口チェックのスタッフも成す術もなく
我々は空港内に無事に侵入できる・・・
セブ行きカウンターには先程のポーターが
荷物と共に待ち構えてチェックインを補助してくれるが
やはり重量オーバーで”超過料金”を要求される・・・
だがしかし
ネットで拾ったイラスト
金額は1000P(約5千円)と
意外と安かったので払う気になったが
それを許さない嫁・・・
交渉をしたら800P(約4千円)になった・・・
やれば出来る!
とよく云われているが
この辺りのスイッチが何処なのか判らない嫁
如何にかなりませんかネ~・・・!?
待合いゲートに移動して
ネットで拾った写真
セブ行きの搭乗時間まで待機する・・・
日本では5分遅れても問題視するが
当時のフィリピンでは1~2時間遅れは当たり前!
その日のうちに到着できれば”御の字”的な事も
P民にはあった様なので誰も騒ぐ者など居なかった・・・
案の定1時間半遅れた・・・
(御の字でしょうか…!?)
その間には当時P国内の港湾施設ではお馴染みの
ネットで拾ったイラスト
ドーナッツを買って食べるのだが
更にお土産として買って行こうという嫁・・・
(どんだけ家族思いなのでしょうか・・・!?)
そしてセブ・マクタン空港に到着して
預け荷物受取となるのだがここでもポーターを雇う嫁
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”凱旋帰国者”は見栄を張らなければならないとの
この国の民に課せられた”風習”の様だった・・・