1991年3月に娘の春休みに乗じて
嫁と娘のフィリピン帰省という名目の
”凱旋帰国”を果たします・・・
嫁異母姉妹の妹夫婦に招かれて職場に行き
その職場を案内されたあとは子供達も紹介され
更には昼食もごちそうになった・・・
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おはようございますHamreyです
そこまでの”熱烈歓迎”では無いにしろ
ワイの短い経験からもこのあとに起こりうる事は
安易に想像出来た・・・
食後の(-。-)y-゜゜゜を理由に席を離れようとしたが
喫煙可との事で目論見も外れるが
嫁のトイレという言葉でついて行く・・・
その際に嫁と協議した結果
早目にホテルへ帰る事で意見は一致したので
適当に理由を付けて退散しようとした・・・
だがしかし
ネットで拾ったイラスト
トイレから戻る途中で異母妹の子供達が騒ぎ出した・・・
如何した事かと嫁が聞くと
食後にM子と話している途中にM子が
🍺を呑んでしまったとの事だった・・・
これ幸いに”帰る口実”が出来たと思ったワイだったが
嫁は妙にパニくってしまい収集が付かない・・・
結局その職場のソファー?でM子を寝かせて
我々もそこに滞在する事になった・・・
勿論、その間は🍻となったのだが
記憶は定かではない・・・
(レッドホースだったのだろうか…!?)
その為に時間の経つのが判らなくなっていたが
暗くなりだした頃に異母妹Bbの婿Pb運転の車で
連れて行かれた所はボウリング場・・・
ネットで拾った写真
(回復したM子やと嫁やBbも一緒…)
そして5人でボウリングを始めるのだが
フィリピンでは日本では普通のテンピン・ボウリングの他に
ダグピン・ボウリングと云うのがある・・・
(今でも地方に行けば存在している鴨…!?)
ネットで拾った写真
レーンの広さ・長さやピンの大きさは同じであろうが
ボールの大きさと投球数が違う・・・
ボールはソフトボールくらいの大きさの
ネットで拾った写真
木製品だったが硬くて意外と重い・・・
(もう少し大きかったかなぁ~…)
そして投球数は1フレームに3投するが
1投目で全部倒せばストライク・・・
(その後の2投分の得点が加算される)
2投目で全部倒せればスペアー・・・
(その後の1投分の得点が加算される)
3投目で全部倒してもそのフレームの得点は
10点としかならない・・・
ボールが小さい分ストライクは難しいが
3投目でスコアメークをして行けば
何とかなるモノだった・・・
だがしかし2
ネットで拾ったイラスト
この国のインフラ整備が悪い様に
レーンコンディションは最悪と云って良い!!!
ネットで拾った写真
手前のライン辺りから先2mくらいは
凸凹になっていて思う様に投げるのは難しい・・・
(2m先まで放り投げるがその先も凸凹はある…)
ワイもP民と同じ考えだった・・・
そうなったらあとは運に任せるが
1度だけスペアーを取れたが
次の投球では2~3本しか倒せなかった・・・
そして忘れていたが投球後のピンセットだが
ピン上部にボーイが居て人力でセットをするのと
ボールを戻すのも人力で行っていた・・・
(最後にチップをあげるのは”当然”の事…)
嫁やM子は日本でボウリングには連れて行ったので
改めてフィリピンの時代遅れに気付いただろうが
嫁はこっちの方に”親しみ”を感じていた気がした・・・
1ゲームを終わった処で70点くらいの成績だったが
PbやBbは100点超えの点数だったのは
ここの常連という事であろう・・・!
(嫁やM子は50点以下…)
その頃には続々とやって来る者は
やはりここの常連さん達でPbやBbとも
親しそうに話していた・・・
尊な中の一人にワイと嫁を紹介するPbだが
”親戚”と言う事を強調していた様だったが
外国人の親戚を誇らしげにしたかったらしい・・・
という事は今までのワイの心配は
”被害妄想”となりそうだった・・・
先程のPbの友人が
ネットで拾った写真
ケースで頼んできた事で”酒宴”も始まるが
その中でもボウリングは続いて行った・・・
(残念ながら”カンパイ”の音頭は有りません…)
ボウリングの結果は”シッチャかメッチャか”・・・
時間も判らないがPb運転の車で
ホテルに送ってもらった
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It will be erect encouragement. ⤴
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やはりレッドホースは遠慮すべきだった・・・