1990年に嫁と娘の来日に際しての
ビザ申請準備中に日本へ”一時帰国”したが
六日後にはフィリピンへ再入国しました・・・
しかし嫁が娘の”出生証明”の為に
再びセブ島・ナガ市役所に行く事になり
我々の作業は一時中断となっていた
居候先Tatay宅近くに住んでいて
映画・ドラマのエキストラ斡旋のおばちゃんに誘われ
マニラ首都圏ケソン市の撮影所に行きます・・・
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おはようございますHamreyです
ジプニーはSta Mesaからケソン市までは
乗り換えなしで行けるので楽だった・・・
我々御一行は総勢10名ほど(withおばちゃん)だが
居候先の路地からはワイともう一人しか居なくて
話し相手にもなってくれなかった・・・
(英語は得意では無い様だった)
まっおばちゃんに内容を聞いていくが
先の大戦時の日本兵役との事ダケで
その他の詳しい事は知らないとの事だった・・・
やがてジプニーを降りて我々は徒歩5分くらいで
目的地の撮影所に到着するが
特別に高い塀で囲まれたり重厚な門は無かった・・・
その辺にある工場と云った感じさえもしたが
ひょっとしたらロケ現場かとも思えるが
おばちゃんは”Movie Studio”と断言していた!
入り口ゲートではおばちゃんが何やら話し
我々を引率する者が来るまで待機して
その後空き地っぽい所に連れて行かれる・・・
その空き地っぽい所で炎天下待機させられるが
殺風景な工場敷地内と云った感じに
撮影所と云う雰囲気は微塵も感じられない・・・
駄菓子菓子
ネットで拾ったイラスト
”先の大戦中”の話であるが故の
相手国兵隊役の欧米人も多数居た・・・
(他のP民エキストラも多数と日本人お年寄りも居た)
やがてその関係者(助監督? AD?)がやってきて
皆を集合させて何やら話し始めるが
殆どがタガログ語の為に理解不能・・・
そして欧米人の為に時々ではあるが
英語でも話すが思いっきりのP訛りの為に
欧米人は失笑していた・・・
そしてグループ分けをされるが
ワイは当然”日本兵役”の方にまわされる・・・
そして再びその関係者が皆の前で話すが
ワイはその関係者に招かれて横に立つ・・・
どうやら髪の毛の長さに付いて話している様だったが
一時帰国の時に床屋にも行っていたので
ワイはかなり短く切っていた・・・
それが当時の”日本兵”との参考の様だったが
本当は”丸刈り”のハズだ・・・
あっこれだと参謀長だ・・・
当時のフィリピンでは短髪はモテないとかで
ロン毛の者が多かったので撮影当日までに
髪の毛を切れる者と云うのが条件だったのだろう・・・
ネットで拾った写真
”現状打破”
(短髪にするべし)
そんな事でP民の日本兵エキストラ候補達にも
関係者からの指令が伝わった様であった・・・
(これはワイの勝手な想像であるが)
そして次に関係者がワイにいろいろと聞いてくるが
当然の様におばちゃんが間に入ってくる・・・
そのおかげで益々ややこしくなってくるが
近くに居た米兵役のモノを見せてもらったら
ワイのプロフィール写真や出演歴の事であった・・・
ネットで拾ったイラスト
単なるイメージですので
ゴチャゴチャ云わない様に願います!
写真など聞いていないし日本でのエキストラ歴だが
作品名なら日本語では言えるが英語では
ローマ字で良いのだろうか・・・!?
日本人のプロデューサーが居るので
作品名は「日本語」でOKとの事だった・・・
えっ、日本の作品なの・・・!?
日本の役者も出演するとかで日本人プロヂューサーが
入っているとの事だったがその他は未だ不明・・・
取り敢えずプロフィール写真を撮るとの事で
他にもいた日本人(推定65歳)と一緒に撮るが
ソーシャルディスタンスを採って撮影・・・
(一枚を切り分ける為だって)
そしてエキストラ歴も書き込んだら
この日は終了で帰る事になるが
一緒に来たご近所さん達は既に帰っていた・・・
(皆はP民なので帰れます)
という事でおばちゃんと二人でケソン市から
Sta Mesaまでジプニーで帰ります
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ところでワイが採用されると
「悪役商会」入りとなるのだろうか・・・!?