1990年に嫁と娘の来日に向けたビザ発給まで
マニラに長期居候滞在します・・・
この日は”三度目の正直”と云う事で
マニラ市役所の”公証人”との面談に向かいます
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おはようございますHamreyです
前回と同じ様にワイと嫁に娘M子の他に
Tatayも一緒に行ってくれるが
面談中はTatayは待機になるだろうか・・・
そしてこの日もタクシーでマニラ市役所に向かう!
8時ころには”公証人”事務所に着き
既に来ていた助手のAsに挨拶をして
木製椅子のある所で待つ事になる・・・
待つ事1時間くらいでガードマンが呼びに来てくれ
Asの所へ行くとTatayも含めた全員で面談をする・・・
Tatayだがワイの”後見人”と云う事での許可と
将来自分の子供が外国人との婚姻時の参考にとの
デマカセ方便も有効に働いた様であった・・・
と云っても前回はワイの代わりに嫁と共に
面談してたよなぁ~・・・
居候記(第四章)18・・・ | 南国徘徊記(嫁の眼をかすめて・・・) (ameblo.jp)
”公証人”は富裕層に属する様な服装と体型をした
50代と思われるおっさんで目付きは鋭く
オカニにはガメツ五月蠅そうであった・・・
ネットで拾って来たイラスト
それでも話をしなければならないので
拙いカタカナ英語(嫁のタガログ語訳付き)で
説明していきます・・・
それでも”公証人”の方からは
費用以外のオカニの話しは出ないので
前回嫁が面談した時の話しとは違う印象を受けた!
そしてM子の事になった時は”公証人”の顔は
まるで孫娘と相対する様な顔つきで
思いっ切り柔和となっていた・・・
(フィリピンでも孫に対する祖父の気持ちは同じ様だ)
説明は10分ほどで終わり”認証”に付いて
引き受けてくれる事となったが
それから書類問題の話しとなって往く・・・
嫁両親の”承諾書”だが嫁父親の”死亡証明”が
入手出来たらそれを認証してくれるとの事でした・・・
そしてもし”死亡証明”が発見出来なかっても
NSO(国家統計局)の”不明”との書類が有れば
”公証人”の書類と共に添付すれば有効になる・・・
ただ”承諾書”は必要で嫁母親のサインを
貰ってくる様にとの事であった・・・
この事に付いては嫁母親は”文盲”の他に
自分の名前すらも書く事は出来なかった・・・
(明治時代の日本でも多かったらしい)
その為に誰かが”代筆”と云う事をしていたので
今回もその様にするつもりであった・・・
(実際は誰がサインをしても・・・)
そしてM子と嫁の苗字違いだが
ミドルネームが嫁母親の旧姓を使っているのと
M子も同じミドルネームなので可能らしい!
だがそれを証明する為に嫁母親の
”出生証明”が必要となる・・・
この事でセブに連絡をして誰かが書類取得に
動いてもらう必要になった
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誰が出来るのであろうか・・・!?