1990年に嫁と娘の来日に向けたビザ発給まで
マニラに長期居候滞在します・・・
ブラカンの知り合いP~ナ宅で話して居たら
P~ナの母親が大量の食べ物を持って帰って来た
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おはようございますHamreyです
Nanay節子さん(P~ナの母親)は
いつもワイを接待してくれるワケなのだが
やはり恐縮してしまう・・・
(と云ってもシッカリと食べるが)
嫁も娘M子もNanay節子さんの
豪快な口調と笑い声に圧倒されながらも
食べ物はシッカリと口に運んでいた・・・
(やはりP民を手懐けるのは食べ物に限る)
この写真は1984年
食べ物はこの他にフルーツもあった・・・
勿論Be(P~ナ)や婿さんBT氏に二人の娘と姪のSbも
一緒に食べているが皆無口であった・・・
(あっBT氏とワイは「いただきます」と発しました)
この家で出される食事は美味しいです!
(殆どは買って来た出来合いのモノですが)
早めに食べ終わった(P男並みでは無いが)ワイは
(^。^)y-.。o○の為に外に出ようとするが
屋内でどうぞと灰皿を出された・・・
BT氏もBeも愛煙家なので構わないのだが
子供達の近くではネぇ~・・・
玄関近くで吸う事にしたら丁度Tatayが戻って来た・・・
(軍鶏のトレーニングをしてたらしい)
一応挨拶をして(ブレスはしない)
食事を先にいただきましたと断りと礼を言います!
そして嫁と娘を連れて来たとも話しますが
この辺りはNanay節子さんの声の方が大きかった・・・
(ワイの説明は不要!)
嫁やM子も食べ終わったら自分の使った
お皿とスプーン・フォークを如何するか聞いていたが
Nanay節子さんが片付けてくれた・・・
その内子供達はTVを観だしたので
嫁もM子も一緒に楽しそうに笑いながら観ていた・・・
それまでは三人で灰皿の回りに居たが
その笑い声につられてを観に行くと
♪ドレミ・チャレンジ♪と云う番組であった・・・
フィリピン人は”歌は上手い”と云われているが
(歌う事が好きなのは間違いないが)
”音程”に付いては如何だろうとの疑問は持って居た!
それを証明するかのような番組で一人ずつ
♪ドレミファソラシド♪と音程に合わせて云う?ダケ
なのだが司会者が面白おかしく進行していた・・・
司会者はと云うと今の日本で例えるならば
”クリームシチューの上田晋也”と云った
雰囲気の持ち主でであろうか・・・!
でっワイ等が観た時に登場して来たのは
パンパンガ出身と云う男性で
フレディー・アギラを思わせる長髪の風貌だった・・・
写真はネットから拾って来た
だが前歯が1本無いのはフィリピン的
そして司会者から弄られた後に深呼吸してから
♪ドレミチャレンジ♪をするのだが
音程も良くシッカリと発していた・・・
(素人解説者は説きます)
だが♪ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラまでは順調だったのだが
次の♪シ♪が上手く云えない・・・
(前歯が1本無い為なのかは判らないが)
♪シ♪が♪ティ~♪となってしまっていた・・・
ワイ等もTV画面から流れる会場の笑い声につられて
思わず笑い出してしまった・・・
それ以来子供達(M子も含め)は
♪ドレミファ・・・♪と繰り返し謳う様になったが
やはり”シ”ではなく”ティ~”となっている・・・
居候中に何度も再放送を観たが
その度に”矯正”させていた嫁でありました・・・
因みにパンパンガって”天使の街”がある所ですが
”おはぎ屋”に転職した在住者さん
90年に”伝説”となったTV番組です!
40代以降の人なら知っているハズですので
チャレンジしてもらっては如何でしょうか!?
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Please click the picture below.
It will be erect encouragement. ⤴
↓↓↓↓↓
♪ティ~♪確率が高いと期待します・・・ (プッ)