おふくろと過ごした最後の夜②(第15話) | for Dear Mother

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今だから話せるロックギタリスト・ハマハチと今は亡き母親との270日 癌闘病物語

俺も弟もそして看護婦さんもみんなその時、目が点になった。

おふくろが急に物凄い剣幕で俺に怒りだしたからだ。

さっき、看護婦さんに返したおしぼりの事だった。

「なんであの人に渡すのよ?あのおしぼりをあの人に渡したらバレちゃうでしょ?

内緒でやらないとバレちゃうでしょ?」

そう言うと、おふくろは人差し指を口の前に出し

「シーっ。シーっ」

と俺にか細い声でそう言った。

一瞬、俺はたじろいだ。

言っている意味が全く支離滅裂だった。

どうしちゃったんだ。おふくろ?

しかし、すぐに納得出来た。

モルヒネだ!モルヒネがおふくろを完全に狂わせている。

俺は、おふくろにあえて話を合わせた。

「ごめん。そうだったな。これから気を付けるよ!だからもう大丈夫だよ」

そう言うとおふくろは、怒ったままの顔でうなづき、またベッドへと戻った。

言っている内容もそうだが、さっきまでぐったりしていたおふくろのどこからあのパワーが、

しかも突然出てくるんだ!?

居合わせたみんなは、とにかくそれに驚いていた。

俺と弟は、もはや見ているだけで辛かった。

「これはどうなっちゃってんの?大丈夫なの?」

居合わせた看護婦さんにそう聞くと彼女は

「モルヒネの作用で・・・」

そう呟いた。

「そんな事はわかってますよ!そうじゃなくて・・・」

俺は既に自分が何を言っているのかもわからなくなっていた。

正直、その時初めて「もうダメかな」と諦めに近い感情をもった事も事実だ。

助からない事は理解していたつもりだが、やはり、おふくろに息のあるうちは、

とにかく奇跡が起きてくれと願わずにはいられなかった。

目の前の現実をどうしても理解することが出来なかった。


しかし、目の前のおふくろはまだ生きている。

生きている以上は奇跡だって起こりうる可能性があるのではなかろうか。

何をしてでも頑張ってくれと思う自分と、これだけ苦しんでいるおふくろを見たくないばかりに

酸素吸入器も外し、延命治療も止めて今すぐにでもおふくろを楽にしてあげて欲しいと思う自分。

2つの自分がこの時、確実に同居していた。

しばらくすると、おふくろも落ち着き、看護婦さんもいなくなっていた。

俺はおふくろが眠るベッドにイスを付け、ひたすら「頑張れよ!」とおふくろの手を握り続けていた。

すると、さすがに俺も気持ちとは別に肉体的疲労がピークに達してきてしまった。

それまで弟には仮眠を取らせていたが少し代わってもらい俺も休ませてもらう事にした。

「おい、ちょっと仮眠取らせてくれよ。今はおふくろ安定して寝てるから代わっておふくろの手を

握ってやっててくれよ。何か俺も目まいがしてきたよ」

そう言うと弟におふくろの手を握らせた。

時計の針は夜中の3時を回っていた。

そして俺は個室にあった簡易ベッドで横になった。

俺はすぐに意識が無くなり吸い込まれるように眠りについた。


間もなく俺は弟に起こされた。

「おい、おふくろがずっと兄キの名前を呼んでるよ。俺じゃダメみたいだよ」

弟は複雑そうに苦笑いして俺にそう伝えた。
確かに弟からすれば、それは、複雑な心境だったに違いない。

時計を見るとまだ寝入ってから5分位しか経っていない。

「マジかよ。なんだよそれ」

俺は疲労困憊の体を起こし、また再びおふくろの手を握りにイスへと向った。

弟と代わり再びおふくろの手を握ると

「よっしゃ、来たぞ!俺がずっと付いてるから安心して寝てていいよ」

俺はそう言った。

おふくろは苦しみながらも薄っすらと目を開けて、俺を確認するとまた再び眠りに入った。


安心して寝ているのか、半分意識が無くなっているのか、俺には判断が出来なかった。

看護婦さんや主治医も、完全に諦めているのだろう。

その夜はその後、誰も病室を訪れる事はなかった。

気が付くと俺もおふくろの手を握ったままベッドにうなだれる様に眠っていた。


つづく・・・