
現象と知覚の問題である。
ある一定の速度で回転しているガラス板は、止まっているかのような一定の現象、静止状態ではなかった映像/一つの円を生じる。
回転(運動)していることを鑑賞者は予め知っているので、動いているのだと認識する。意識には今リアルに見ている景色のほかに構造の仕組み(回転)を知っているという二重の認識が複合的に作用する。
しかし、二重の意識は一方の強い認識に加担するので、捉えた視覚を優位に感知せざるを得ない。
見ることの条件作用、対象との距離、動きの速度などによって、脳の誤作動ともいうべき知覚が生じる。止まっている電車の車内にいて逆方向の電車が動き始めたとき、自分の乗った止まっている電車が動き出したのだと錯覚することも、この範疇に入る錯視である。
視覚は常に正常な状態を把握しているとは限らず、対象物が何らかの力(エネルギー)によって変形を余儀なくされることもあり、その関係性は一定ではない。
地球は球体であり回転しているのだという事実も、その構造への明晰な認識を欠いては理解できない。
見て感じているという絶対的な真理も錯覚(錯視)にすぎない場合が多々あるかも知れないということである。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より