
雄・鋳型という関係から考えると、DNAやRNAの複製という観点が浮上するが、作品を見ると分子配列でもなく(物/物質)である。
何を模っているのかは不明であり、鋳型により鋳造された物とも考えにくい。
鋳型とは液状のものを流し込み、形を作るための仕掛け(物)であって、完成した目的ではなく媒体である。本来の形態の上をなぞり本来の形態を空洞化したものを指す。
9つの雄・・・雄とは生物の生殖器官の差異によるもう一方の呼称である。(染色体が一つ多い)どちらが雌でも雄でも構わない呼称であり一方が欠ければ繁殖は叶わない。
∴ 9つであること、雄であることの意味は無いのではないか。
しかも鋳型である。生産された後には不要になるものであり、見えていない内部こそが、重要な目的物を隠している。もちろんその有無は鋳型の外観からは図り知ることはできない。
もっともらしい9つの形態の提示。
見える形から作品の意図を探し感受することが、鑑賞の一般的な方法である。だから、見えている《9つの雄の鋳型なる図形=9つの雄の鋳型》という肯定を受け入れねばならない。
しかし考えを進めていくと、タイトル及び作品に《実体》がないことを悟る。追求すべき論点が空に浮上してしまう。
『9つの雄の鋳型』の鑑賞すべき焦点は《空無》に辿りつくしかなく、《存在による非存在》への凝視こそが答えの近くに位置しているのだと気づく。
写真は(www.tauschen.com)より