
連写を思わせる描写は何を意図したのだろう。
《時間と空間》の関係性を追求したのだと思う。つまり(今)とは何かである。
今の今はすでに過去であり、未来はまたたくまに今になる。この空気感、得体の知れなさ、つかみどころのない時間の中の変化。時間を体感するのは人間の意識であり、外部とのズレである。
時間軸というのは自身のなかに在る。ただそれが地球という領域にあって太陽との関係で認定された基準に従っているだけではないか。
光と影には周期があり、それが繰り返されて帯状の線になる。人間の生死の連鎖はその時間帯に密接に絡みついて歴史という奇妙な物語を生じさせるが、元来時間は素/ありのままの人間の内部に生じる感覚だとも言える。
時間は平行(直進)なものか、上昇あるいは下降するものなのか…誰にもわからない。
デュシャンは、『階段を下りる裸体』において、真っ直ぐに下降していく図を描いて周囲の階段を螺旋状に、しかも機械的とも思える描き方をしている。
『階段を下りる裸体』は、時間の秘密に迫ったものではないか、と思う。
写真は(www.tauschen.com)より