わたし達は、生きてものを言い、ものを考えている。
 主体はわたしである。

 しかし、わたし達は集積されたデータの中でそのデータに導かれてものを言い、ものを考えているに過ぎない。
 換言すれば『観念』によって《わたし》を主張している。
 観念を否定すれば《わたし》を消失しかねない、それほどに観念は主体を動かす源になっている。
「観念的だね」というのはある種軽蔑である。では、と考える。しかし、そのすべてが学習されたデータに基づく答えであり、切り離せるものではない。

 この『観念』という作品を見て《人はこうではない!》と思う。即断であり、迷うことすらない。背広にリンゴの頭部など、滑稽ですらある。

「その滑稽なものがズバリ人間である」と。マグリットの秘かな忍び笑いが聞える。


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)