三人の男はそれぞれ頭上に月を抱いている。一つの時空に月は三つもないが、三人の男が一人の男の分解であれば納得がいく。
 三日月は夕刻西空に見えるものであり、南中の昼には可視の範疇にはない。
 したがって、頭上の三日月は物理界におけるものではなく、あくまで精神界におけるものである。

 男たちはそれぞれ違う方角を見ている、月を支点に考えると、南・東南・西であり、月の運行に倣っている。
 もちろん月が移動しているのではなく、地球の回転でそう見えるだけである。
 地平線は動いている、しかし、決してそうは見えず、月が時間と共に移動しているとしか思えない。人(人の視野)は常に地平線に垂直に立っている。

 しかし、月は東から西へ運行しているわけではなく、地球の自転に因している。地平線が水平に見えることも人の視界(高さ)の低さに因るもので本来は球体である。

 目で見た事実を真実だと信じているが、男を三人に分解し月の運行を考え、地平線との関係性を問い質すならば、論外の事実に行き着く。

 わたし達は、その神秘(関係性)を生きている。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図より)