
任意の場所(時空)である。手掛かりはなく、ただ高山の山頂(山稜)に巨岩石が位置しているという条件だけである。
崇高な美の光景と言えるかも知れないが、地球上に於いて各所至る所で見られる場所の一つに過ぎない。ただ違っているのは石があり得ない状態で位置していることである。
実在の光景に心理的な光景を被せる、この手法はあまりにもさり気なく同質なものの位置変換を為しただけなので、真偽を曖昧にし、(もしかしたら)の状態を維持している。
もしかしたら・・・現実と架空がすれすれの接点をもって拮抗している。
自然の理を考えれば、この石は落下し崩壊の憂き目にあうことは必至であるが、奇跡的にこの位置にある。この位置に在るということは、余程(膨大な)のエネルギーが必要である。
これを支えるものは自身の生命活力であり、即ち石は自分自身なのであり、自身の生き方、生活、総てを写す鏡なのである。
・・・石に対峙する自身、そのバランスの鍵を握るのは間に流れる空であり、見ることの叶わぬ『ガラスの鍵』の存在である。開けることは即ち崩壊(破壊)を意味し、幻と帰していく時空への鍵である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)