お風呂屋さんは大きな建屋で広々としていたけれど、浴場を覗ける小さな居間が生活の中心だった。部屋の傍らに厨がついているという風で、奥さんは営業時間内はそこで過ごすのだと言った。
「うちの旦那は養子なんだけど、こんな商売嫌だっていつもこぼしているわ」と若い奥さん。
「だからね、家出を三回。もう今日は店(浴場)を開けられないって覚悟して、朝方外に出ると車の中で寝ているのよ」と苦笑。
「だってさ、風呂を焚くすぐそばに石油缶を置いていく嫌がらせなんかあると情けなくってホント嫌になるよ」と若いご亭主。元気で解体現場などへ出向いては大量の古材を積んで帰り、積み直す作業などは陽気な風情で頼もしかった。
「急に来なくなる客がいるけど、自宅にお風呂を設えたのかな。一言くらい挨拶があってもいいのに・・・」と。
50年前の話である。
今、そのお風呂屋さんはない。富士山が描いてあって、赤い金魚がタイルにはねていた懐かしの浴場は幻になってしまった。
深夜、若い二人が浴場を掃除する声が崖の上のアパートにも聞こえてくる。
「こんな商売年取ったらできないねぇ」などという会話。
わたしも深夜遅くまで内職していたから、共同体意識がなくもなかった。