伯母を思うと元気になる。
父は9人兄弟の7男。すぐ上の叔父は植木職だったらしいが、仕事の手薄な時期には行商に出たと言い、伯母も付いて回ったらしい。(さぞ大変だったと思いきや…)
「楽しかったなぁ、知らない駅で知らない街に出るときは、この町はどんな町だろうと思うともうワクワクした」と回想し懐かしんだ。
父の妹は早くに奉公に出たらしい。「ああ野麦峠」で知られる製糸工場である。
「女工哀史」は大正14年の版であるけれど、哀史と言うからには厳しく辛い仕事だったに違いないのに、伯母は「楽しかった」と言い、「身体が丈夫だったから何でもなかった、村で一番の稼ぎを持って家に帰るときは道を飛ぶようにして走って帰った」と言う。
「兄さんたちは学校を出たけれど、お母さんにお金を渡すのはわたしが一番だったと誇らしげに言った。
疲れた時には、この伯母たちの若い日の奮闘繰りを思うと元気になる! 逞しいってホントに素敵。