「同じ師」の元で生まれた「BAR」
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。
人生には不思議な縁がある。
わたしが毎週飲みに行く、行きつけの店は、
わたしが昔やっていたバーのとなりの店だ。
同時にこの店のマスターは、
アンティーク時計のコレクターで、
わたしの時計趣味の師匠でもあるんだけど、
この店とわたしの出会いも、
不思議な縁での出会いだったのだ。
この店は先日、オープン20周年を迎えた。
わたしのやっていたバーも、
実は同じ20年前の7月にオープンした。
だからもし、あのまま店を続けていたら、
あのバーも20周年を迎えていたわけだ。
さて、20前、オープン準備で
店に毎日通っていたわたしは、
その日、準備を手伝ってくれた
学生時代の同級生に、
手伝いのお礼を兼ねて、一杯おごることにした。
そこで隣のこの店に入ったのだ。
わたしと友人は、カウンターで飲みながら、
わたしたちが当時お世話になっていた、
わたしの最初の師の話をしていた。
当時は全然気づかなかったが、
今振り返ると、最初の師は、
悟り、そしてそこから生きる姿を
見せてくれていた人だった。
すべては「空っぽ」で意味はないであるとか、
問題を問題にしたら、問題は継続するとか、
「在る」であるとか、
今思えば、実に深い知恵を
いくつも圧縮ファイルとして受け取っていた。
そんな当時の師の話を友人としていたのだ。
するとその店の店主が「あの....」と
話しかけてきた。
「それはもしかして、○○氏のこと?」
わたしたちは、なぜその店主が
わたしたちの師のことを知っているのかと
とても驚いた。
彼は表には出てこない人だったから。
で、よく聞いてみると、
彼もかつて、同じ師に学び、
なんとこの店は、師のところにいたとき、
インスピレーショというか、ビジョンとして浮かび、
やることになった店だというのだ。
わたしはその言葉に驚いた。
なぜならわたしの店も、
同じいきさつで、やることになったからだ。
不思議な縁に、わたしたちは驚いた。
先日機会があって、最近の師の今の姿を
写真で見る機会があった。
彼は実にかっこいい老紳士になっていた。
当時もとてもハンサムな人だったが、
金髪だった彼の髪は、
(彼はアメリカ人だった)
白髪になり、実に渋くてかっこいい
初老の紳士となっていた。
わたしがバーのマスターをはじめたのは、
今から20年前。
振り返ってみたら、今年は大きな節目の年だ。
バーそのものは、数年後、人に譲り渡し、
以来、カウンターには立たなくなった。
だが、あのときの経験が、
今、講演や執筆、何よりも人生のそのものの
貴重な財産となっている。
そして今も、みなから、マスターと呼ばれる。
あの経験は、今もこの人生の中で生かされ、
そして生きている。
人生の縁とは本当に不思議だと思う。
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