両親は、私がちっとも動かないことについて、散歩で歩かせるようになったことに安心し、転勤にまぎれて、またどうにも楽天的な性格であったから、相談機関に行くこともしなかったようである。が、3歳半までほとんど何も話さない子どもというのはなかなか強情なことなのではないか。私は、朝起きて自分で冷蔵庫をあけ、常備されていた100%のみかんジュースか林檎ジュースを自分のプラスチックのコップについで飲み(これは今も家族中で唯一私だけが持つ習慣である)、そのまま幼児用の小さな椅子にパジャマのまま絵本を前に微動だにせず座り続けるという幼児だった。母が着替えさせなければおそらく一日でもそのままだっただろう。現に母が風邪で寝ていた一日、私は母が気づいた夕方までパジャマで幼児椅子に座っていたらしい。


私が3歳半になったとき、私の長かった沈黙の時代は終わった。

私はある日いきなり話し出した。ありとあらゆる話を話し出した。散歩に出かけて見た、母と姉が気づいていなかった塀の上に座っていた犬の話、スーパーに売っていたたくさんの服の中に一着だけハンガーから床へ落ちてしまっていたブラウス、公園の隅で焚き火をしていた老爺のこと。休む暇もなく、一定の、しかもかなりの声量で、延々と話し始めた。あまりの勢いと語彙力に、親は辟易としていた。

この頃の自分のことは、私も覚えている。私は、自分が体験したことに母も姉も気づいていないということに違和感を覚えていたのだ。何で気づかないの、何でなんでもないことだと思うの。あんなにきれいなのに、あんなに変なことだったのに。自分の観察眼やそれを表現できることがすばらしいと思っていたのだ。

そうではなかったのに。普通の人は世界を見てもそのすべてを認識しているわけではなかったのに。私が見ていた世界の半分は、私にしか見えないものだったのに。