日本製 記念すべき春馬さん
第1回目の取材です。

鹿児島県の種子島

鹿児島市から100~150キロ南方に
広がる大隅諸島のうち、
屋久島の北東 
鉄砲伝来の島。

取材先の種子島宇宙センターは
種子島の南東端の海岸線に面しており、
抜けるような空と、白い砂浜の向こうの
岬先端に大型ロケットが見えるそうです。

到着した春馬さんは、
「世界一美しいロケット発射場だ!」
と夢中でシャッターを切り、
かつてロケット組立棟だった建屋に
一世代前のH-Ⅱロケット7号機が
残されている姿を見つけて、
いっそう顔が輝き、
背中越しにもテンションが急上昇したのが
わかったそうです。

「地元の茨城県にも筑波宇宙センターが
あるんです。だからこそ種子島にも行ってみたい。ブラックホールをずっと不思議に思っていた。」


春馬さんの出身地の土浦と、
つくば市はお隣の市同士。
土浦全国競技花火大会など、地元を
愛してきた春馬さんにとって、
生活圏の近い筑波宇宙センターは、
身近な存在だったでしょう。


日本の宇宙開発の中枢を担う
筑波宇宙センター。
宇宙輸送技術部門のうち
人工衛星打上の中心的な役割を果たす
種子島宇宙センター。

どちらも日本の宇宙開発の希望だ。






ブラックホールの不思議は
JAXAの方に聞けたでしょうか。

春馬さんが、どんなに宇宙に興味が
あったのか、
取材班の皆様、いつかどこかで話して
ほしいな。
ご存知の方が、彼がどんな方なのかを
どうぞ伝えてくださったらと
願っています。





取材時は2015年9月     春馬さんは
「次の主力ロケットになるH3を開発中との
ことですが、宇宙開発における次の日本の目標はどういったことになるんでしょう。」
と将来の宇宙を取り巻く状況を
楽しみにされています。



JAXAのHPより
宇宙を使ったアイデアが次々に生まれる
時代に、宇宙輸送技術は欠かせない。
日本の技術を集結させ、「ロケットの使いやすさ」を追及すると宣言されています。

H-3ロケットは、現在運用中のH-ⅡAロケットの
後継機。
メインエンジンLE-9は、3Dプリンタ等の新技術や日本の技術を結集し、開発中で
パーツを減らしシンプルな構造にすることで高信頼性と低価格を両立させる目標だそうです。
2021年度以降20年間を見据え、
年6機程度を安定して打ち上げることで、
産業基盤を維持する世界を目指している
そうです。




JAXA開発員の道上さんは
打上成功のためには、
技術はもちろん
物と物、人と人をインターフェイスが
大事。
日本人は相手が意図していることを
読み解く心遣いが、日本の味になっていると
語っています。

春馬さんは、
地道な作業や丁寧なやり取りを繋げて
今の実績がある。そんな日本人らしさの
原点が、
現在のH-ⅡAとH-ⅡBの前身にあたる、
あの建屋で見たH-Ⅱロケット7号機にみえた気がしたと語っています。






2020年10月29日のJAXAの更新
5月
H-3ロケットの試験機1号機の打ち上げに
向けた、最終段階にあたるエンジンの
認定燃焼試験をクリア目前に、
燃焼室に不具合が発生してしまう。
プロジェクトチームは、腰を据えて
対応策に取り組む、2020年度内の
試験機1号機の打ち上げ断念を発表しました。


予定通りには進まないものなのですね。



春馬さんがおっしゃっていたように
きっとプロジェクトチームの方々は
緻密な試験を、人と人をつなぐ丁寧な
やり取りで、遅くなっても
H-3ロケットを完成に
導いていくのでしょう。

このプロジェクトをずっと
見守って行きたくなりました。





取材を終えた春馬さんは、
「物凄い規模の俯瞰で
ある意味宇宙から日本を考えている
ような気持ちになりました。」

「僕自信のなかで何かが大きく
動きだした感じ」

と語っています。



日本製を巡るプロジェクトを、
あるいは俳優が出来ることを、
私の想像ですが
ご自分の人生を俯瞰するように
見ておられたのかもしれません。


宇宙の未来を担う最先端技術は、
地道なやり取りを何度も何度も
繰り返して繋げた実績によって
成り立っているって、
もう、古くなってしまったH-Ⅱロケットを
愛おしく想うかのように
春馬さんは称賛していました。


人に対しても
そんな風に気付いて
寄り添い
優しい言葉を掛けてあげられる
人だったのですよね。
春馬さんは




種子島から出発するときのエピソードが
とても可愛いのですが

朝ご飯の調達に、地元の人気パン屋さんに
寄って、焼き上がったばかりの塩パンを
争奪戦の末、ちゃっかりゲットし、
「幸先いいね」としてやったり顔。

取材班と戯れて楽しそうな
春馬さんが目に浮かびます。

そんな争奪戦を見ていた中国人の親子の
会話を取材班に話す春馬さんです。

「今すれ違った親子がね、パン食べたいって
   話してた!」

春馬さんがさりげなく聞き取っていた
中国語の読解力に驚かされたそうです。


(最近知ったのに、すみません知ったか
ぶりですが汗)
真夜中の五分前で中国語を
マスターしていたからなんだなー
なんて微笑ましく、嬉しいです。








三回観ても、
謎を読み取れ切れなかった
真夜中の五分前









双子の姉ルオラン(リウシーシーさん)を
愛したリョウ(春馬さん)と
双子の妹ルーラン(リウシーシーさん2役)を
愛したティエンルン(チャンシャオチュアンさん)の愛の物語。
事故で双子の一人が亡くなるが、
どちらが生き残ったの判らない男達が
翻弄されていくミステリーです。


私は観ればみるほど、辻褄は合わないのに
帰ってきたのは双子のルーランに
成りすましたルオランだと
自分に言い聞かせていました。
ルオランはルーラン同様、ティエンルンを
愛していたのだから、
リュウを裏切ってでも、
ルーランになりすまし
人生をやり直したかった。
でも嘘はバレる。
ティエンルンに見限られたルオランは
自分を見つめ直す旅の後、
五分前でも、五分後でもない
新しい自分で
時間で、リュウに貰った時計を返しにいく。
(さよならを伝えにいく)



私は、騙しているルオランの
本心、行動を
見透かしている側だと
思いたかったのです。


でも
春馬さんの
リウ シーシーさんの
チャン シャオチュアンの
表情が噛み合わないように思える。


一見ポーカーフェイスのようでいて、
気付けは、
感情豊かなあの春馬さんの表情を
理解しきれていないように思えて。

どこをみているの?
なにをみて、瞳が潤んでいるの?




三回観た後も腑に落ちない。
みなさんどのように感じとられているのか。
映画を見られた方の
コメントや解説を探し始めました。

映画を愛する方々の沢山の考えがあり、
ルオラン派もルーラン派も
どちらの解説も納得する内容です。

あえて混乱させるように
作られた映画であると思いますが
自分一人で観ているうちは視野が狭くて
他の理由付けを発想することが
できませんでした。

多くの解説を読むうち、次第に
モーリシャスの海難事故後に、
リョウ(春馬さん)の前に現れた蝶の
について、
「中国では人が死んだ後、
蝶になって会いに来る」という考えがある
と読んでから、なくなったのはルオランで、

生き残ったルーランが、私はルーランと
宣言する通り、ルーランなのだ。
しかしティエンルンは一度疑いだすと
ルオランにみえてしまう。
リョウもやはり疑う。

信じて貰えないルーランの
焦り恐怖、混乱を描いているように
見えてきます。
ルーラン自身も自分がルオランかも
しれないと混乱する。

最後にルーランは、ペソアの詩の
言葉をきっかけに、自分を取り戻し
双子のどちらでもない一人の人間として
リョウに会いに行く。
もしかしたら始まりなのかもしれない。
そうやって物語は終わるのです。



ルオランの悲しみに気づくと、
今まで考えていた
ルオランを見透かしていると考えていた
自分が、浅はかに思えてくる。

一つの方向から見ていると
真実には近づけないよと、
言われている気持ちにさせらせます。

少し時間を置いたら、また別の結論を
考えているかもしれませんが、

行定監督は、物事の多面性を伝えたかったのかもしれません。

また誘導された感情は本物ですか?
と問いかけられている
とも思えました。

見透かしたつもりで、真実から
目を反らしていませんか?
俯瞰して見ていますか?

何度も何度も問いかけられるようです。






春馬さんは問いかけてくれていた
のかもしれません。






監督の行定勲さんは、
2020年10月3日くまもと復興映画祭で
春馬さんについて

「北京語の発音について、全部の発音に
ついてパーフェクトだった。
そんなに語学が出来なくてもいいよと
言ったのに、物凄く打ち込んだ。
精密な俳優。自分らしくではなく、
まずは実直に正確にやることから始める。」

と語っています。
この言葉は三浦春馬さんという人を
全て言い当てていると思いました。


監督からの信頼がいかに厚いかを
物語っているようでした。



映画を造る方々は、公開するまでに
何年も温めて考えて、映画を愛して
いるのでしょう。

たった二時間観ただけで、良かった悪かったと
結論づけられたくないはずです。

何度も見返し、語り合い、公開した
後に育っていく映画を
お作りになったのかもしれません。



春馬さんは、映画を愛する方々のなかに
身を置き成長された。
物語を育んでいく過程を体感し
続けてきたのかもしれません。

春馬さんのことを
「ロケ現場のトラブルでも静かに見守り、
本番になると、カメラの前でベストの
演技をしてくれた。
この映画においては、相棒のような
存在だった。」

と行定監督は語っています。


行定監督が作る映画の世界観を
監督と同じく持ち合わせていたの
だと思います。





真夜中の五分前を見終えた直後のように
私は、春馬さんのことを
本当には判ってはいないと
突き付けられましたが、
ずっと春馬さんのことを
考え続けて生きたいです。
いつか、解るのかもしれないのだから。



くまもと映画祭の真夜中の五分前
上映の際に、春馬さんに想いを馳せ
行定監督はおっしゃっています。



「残したことは、永遠に残っていく。
   スクリーンみんなで見るのは違う。
   共鳴しあっている。
   ここでかけられた
   ことを感謝しています。」




行定監督へ

どうか、春馬さんのように
誠実に仕事に取り組む方々を
大切にし、
春馬さんを育てたように
愛情深い映画を撮り続けて頂けたら
と願い続けています。

どうかお気持ちを、
メッセージに乗せて
発信源し続けてください。




2015年12月号掲載
2014年12月公開