今夜聴くのは   サラ・ブライトマン私たちのために歌う

 

 

 

昨年、胆嚢の手術だった日は

今年、明石市文芸祭入賞作品の表彰式でした。

 

この一年、ボランティアで校正のお手伝いをした実行委員も

朝から夕方まで、アスピアの9F子午線ホール」でスタンバイでした。

 

 

写真は小雨の中、再びのモクレンです。

この雨で、ほとんど落ちてしまうでしょう。

 

 

 

 

 

9階から明石城址を見ます。

 

まずエレベーターに乗ったら、大西泰世さんに出会いました。

川柳部門の選者をされていたのでした。

 

 

 

 

ホールは準備中です。

 

 

俳句・川柳・短歌・詩・随筆・小説・児童文学 

 

部門にそれぞれ

市長賞・議長賞・教育長賞・神戸新聞社賞・実行委員会賞 が決まります。

 

今年で50回目を迎えたそうです。(昭和49年から)

 

 

50年前、お一人の発起人の企画が、今は全国から応募の規模となりました。

応募総数は300からスタートし

 

今年は、10代から90代まで

一般の部・ジュニアの部を合わせて4000を越したそうです。

(WEBが半数以上)私だったら窓口まで持って行きそう。(いつかの確定申告みたいに)

 

 

数年前に管理(?)は

市から「明石文化国際創生財団」に替わったということです。

 

 

 

 

 

まず、明石市長・丸谷氏のご挨拶。

 

 

20年程前、我が母が俳句で入賞し

この式典に付き添ってきたことがあります。

その時は泉市長だったのでしょう。

 

泉さんには、オットも母も賞状を頂きましたね。

私はなんも、有りません。

 

自分にはやったことがあります。

人生を黒衣の役に演じいる我に与えよ助演女優賞 という短歌を詠みました。

 

 

 

 

 

俳句・ジュニア部門 小学生の部で、市長賞を受けられる少女。

 

 

明石市は小中学校にこの文芸賞の応募を呼び掛けたそうです。

明石市の子どもたちは恵まれていると思います。

教育費も医療費も無料になり、その上

文学になじめる土壌がこうしてできていくのですね。

泉さんの功績です。

 

 

子どもは、こうして守ってやる義務大人たちにあります。

今、世界中で

戦争や飢餓の犠牲になっているのは子どもです。

自分の将来に夢を持ったり、希望に向かって努力できる安らかな日々を

子どもは、護られる権利があります。それなのに

最低限の寝床と食糧さえ保証させられない大人は

自分が子どもだったことを忘れています。

死んでいく子どもの心に、その瞳には何が映っているのでしょうか。。

 

 

 

 

 

実行委員会賞 

もう既に女流作家の堂々とした貫禄がある中学生です。素敵でした。

 

いつの日か、活躍できる時が来たら

きっと、この日の舞台上を思い出すでしょう。

あの日があったから今がある、って思うでしょう。

 

スポーツにしろ、文学にしろ

子どもたちに・・・

未来に続く道へのきっかけ選択肢をいっぱい作ってやりたいですね。

 

 

 

 

 

 

さて、そのあとは各部門に分かれて

選者の作家先生による「講評会」が行われます。

 

私たちも参加させていただき、これがとっても面白かったのです。

私が校正した作品を書いた人に初めて会いました。

 

選者ご自身も、読んでいる時は名前も年齢も黒く塗られて隠されているので

分かった時は驚きました~って。

 

私の横に座られていた男性が「校正して下さったのですか?!」と

喜んでくれました。

私も「あの作品はとっても面白かった、次も頑張ってください」と

言いました。

 

 

お会い出来て、より作品の奥行きが感じられたし

リアルな輪郭が生き生きしだします。

入賞者同士にも、互いの作品への敬愛が生まれると思いました。

 

 

 

 

 

 

私が関わった「児童文学」の選者は

かねこ かずこ さんと

樹 葉 (いつき よう)さん

 

お二人の講評の言葉で覚えているのは、こんなです・・・

 

 

書きあがったものを、他人の目で読み返すこと。

    そして自分にツッコミを入れてみること

 

 

大切なのは (書かせていただいている)そして、謳いあげること

 

 

 

 

 

謳い上げる再びのミモザ。 咲かせていただいている。

 

 

私も、応募してみようかな。懲りずに書かせていただこうかな。。。

 

 

 

 

感謝