「わたし達は先人(せんじん)を越し、

 後人(こうじん)に越されるために地球にいる」

 

 これはわたしの生きる覚悟のようなものです。


 スピリチュアリストをはじめ、科学者や医師、芸術家、スポーツ選手といったように、人間活動を行う全ての人の中で、
(あと)から来る人たちに対して恐れや不安、そしていつかは自分が亡くなるということへの怒りや悲しみを感じている人もいるでしょう。


 今回のテーマである「わたし達は先人(せんじん)を越し、後人(こうじん)に越されるために地球(ここ)にいる」と聞いて、どのように感じられますでしょうか?


別に何も、という方もおられれば、越されることが悔しかったり、腹立だしかったり、悲しかったりする、
と、色々な方がおられるでしょう。


わたしの場合は少しさみしさを覚えます。


 しかし、このさみしさは、わたしの身体意識(フィジカル・マインド)の思いであり、
自分の人生への執着のようなものだとわかっています。


ですので丁寧にお別れをしていくのです。


 最善を尽くし、「良きもの」と心から思えることをこの世に残して、やがてわたしも去るのです。「わたしもいつか必ずこの世を去る」という事実はわたしの毎日を充実させてくれるものです。


 そして後人(こうじん)が、わたし達の残すものを改善・改良して、この世界を変化させていくことは、人の世の(つね)であり、挑戦であり、喜びなのです。



 「自分がパイオニアなのに!」
「自分発のアイディアなのに!」
という悔しさもわかります。「この人、ひとりで勝手に『勝った!』と勘違いしてる…。」そういった経験も何度もありました。


 これは「泣き寝入りしろ」と言っているのではありません。自分の中だけの心構えをお伝えしているのです。



 そして「越される」ことがイヤだ、どうしても納得がいかない、という場合。


 これに対しては「越してやろう、喰ってやろうと他者に思われるほど面白い、凄いことをあなたは成し遂げたのではないですか」と言いたいと思います。


 中にはあなたに感謝している人もいるのです。その存在を忘れないで頂きたいのです。


 極論を言えば、また生まれ変わって、その時の先人となる今の後人を越し、再び地球に良きものを残せば良いのです。


 そして越した先人とは、同じ時代を生きた先輩に限らず、自分の過去生かも知れなかったりするのです。



 「しかし、自分には先人を越せるものも、後人に越されると不安に思うようなものも、何もない・・・」と思う方へ。


 そういったことを思う人はえてして自分に厳しすぎであり、完璧主義である場合が多いのですが、どうしてもそれが事実だと思うのであれば、そのような自分を許すことです。


 許して許して、心身ともにゆるみ切ったなら、別の景色が見えてくることでしょう。



 地球にとって、良き細胞となり、新陳代謝のサイクルに軽やかな気持ちで乗っていきましょう。そして珊瑚(さんご)のように、地層となり、大地となって、後世を支える(いしずえ)の一粒となるのです。


ではまた・・・。