「猫の愛より偉大なギフトがあろうか。」

チャールズ・ディケンズ
-------------------------------------------------

お世話になっていたプロデューサーさんと仲違いし、僕はギターの販売員になった。
慣れない専門的な仕事で大変だったが、仲間に恵まれ、楽しく過ごすごとができた。


僕は入社後最初に迎えた父の日に、赤いリッケンバッカーのギターを社割で買って父に贈った。
父はビートルズやザ・フーが好きだったので、目を白黒させて喜んでいた。
父は就職活動の時に楽器屋さんに成りたくてヤマハに面接を受けにいったがダメだった、という話をしてくれた。
僕はその話を聞いて、楽器販売員になった自分を少し誇らしく思った。


いつしか一番下の弟のルカが中学生になっていた。
エバももう13歳で、人間で言うとほぼ70歳になる計算だった。
エバはある時から少しずつ痩せていった。
毛の色も変わってきて、今まで銀と黒だった毛に何故か茶色が混ざってきた。
あまり食事しなくなり、寝ている時間が多くなった。

新しい猫はどんどん我が家に入ってきて、庭で子供を生んだりしたが、もはやエバは気にしていないようだった。

ウリコの子供のイチローの事を思い出した。
痩せて、目やにが出て、よろよろとしか歩けず、荒い息をしていた。
今エバが同じように弱ってきていた。
我が家の女王エバが、あのエバが世界から離れていっているのが分かった。
母がエバを獣医に見せたが、特に病気ではなく、老化による衰弱であると言うことであった。


その年の冬、僕が堀炬燵に座って本を読んでいると、足が暖かく柔らかいものに触れた。
エバだった。
エバはすっかり小さくなって、大きい呼吸で堀炬燵の床の部分で眠っていた。
何故か急に、今この瞬間が最後のコミュニケーションの時間なのだ、という想いが胸に湧いた。

僕はその想いを、そうかも知れない、と受け入れた。
堀炬燵には潜り難く、エバを引っ張り出すのは気が引けたので、僕は足で出来るだけ優しくエバを撫でた。エバがどう思ったかは分からない。
ただ、エバの背中が呼吸と共に上下していた記憶、柔らかかった記憶、暖かった記憶だけ、今も僕の足に残っている。


次の日僕が仕事から帰ってくると、エバは既に息を引き取って、我が家の庭に埋葬されていた。

僕はエバの眠る場所に線香をあげ(そこは初めてエバが我が家に現れた室外機のすぐそばだった)、味のしない食事をし、自分の部屋に戻った。

ベットに腰かけると、涙が溢れた。

炬燵で足で撫でた時、覚悟したはずだったのに、涙は次から次へと溢れ、気が付くと僕はエバの名を、何度も何度も何度も呼んでいた。

エバはもういない。
いやまだ布団の下、堀炬燵の中、テレビの裏、開けっ放しの箪笥の引き出しに、冷蔵庫の上の生協の発泡スチロールの箱の中に、庭の片隅に、この家のどこかにいるのではないか。
呼べば億劫そうに出て来てくれるのではないか。

僕はエバを呼んだ。
もう本当にエバがいないのだと納得することは、その日は出来なかった。
次の日もその次の日も、頭では分かっていても、どこかでエバを探していた。
テレビで猫を見ても猫のカレンダーを見ても野良猫を見ても、エバに似た猫はいないか、探し続けた。



時として、時は優しい。

一ヶ月、半年、一年、二年と経つごとに、エバの記憶は意識の奥に沈殿していった。
思わぬことでエバを思い出す事は少なくなっていった。

悲しいときに、エバが背中を暖めてくれたことは、どうしても忘れられなかったけれど。



そして僕は震災の年に結婚し、エバと暮らした家を出たのだった。


最終話へ