名言紹介『人生とは自転車を漕ぐのに似ている』 | A Fragment of Morning Star

名言紹介『人生とは自転車を漕ぐのに似ている』

名言の紹介の記事です


今回の名言はクロード・ペッパー氏の名言です


人生とは自転車を漕ぐのに似ている

ペダルを踏むのを止めない限り、倒れることはないから

by クロード・ペッパー


この言葉は、凄く好きです

勇気をもらえる気がします

素晴らしいですね

結局、人間が折れてしまうとき、それはペダルを踏むのを止めたときなんですね

その足が止まってしまったら、何か大切な物まで止まってしまう

諦めないでペダルを踏み続ければ、例え真っ直ぐではなくても、ボロボロになっても、しっかり『前』に向かって走り続けることが出来る

何か生涯があれば、転ぶことはあるかも知れないです

でも、それは『倒れる』と言うのとは違うと思います

また立ち上がってペダルを踏めば、また走れる

倒れたら、もう立ち上がれないと思います

止まっていても、バランスは取れない、だから進まないと行けない


それに、自転車に乗るというのと人生、他にも共通点があるような気がします

最初から自転車に乗れる人というのは居ません

同じように、最初から1人で人生を歩むことの出来る人なんて居ません

だから、どうやって練習をするのか

誰かが支えてくれていました

それは親であったり、他に見守ってくれる大人達でした

人生では?

やっぱりそういう人たち、特に『親』です


そうやって支えられ、やがて1人で自転車に乗ることを覚えます

しかし、やっぱりまだきちんと乗ることが出来ない

だから、補助輪をつけた自転車に乗ります

それは親元から離れようとしながら、その恩恵を受けている、今の僕たちのように養われている立場ですね

まだまだ遠くに走っていくことも出来ない

十分な速度で走ることも出来ない

でも、倒れることはない、支えられているんです、わかりにくいけど確かに

僕たちも、意識しないけれども、普段から親に支えられている、やっぱりどこか似ています


それから補助輪が外れると、やっと『支え』なしに自立して走り始めます

コレは社会に出てからです

僕はまだ経験していないのでこれから先のことは良く解ってないけど、書いてしまいます

補助輪がない自転車に最初はとまどい、派手に転ぶこともしばしば

生傷の絶えない期間もあるでしょう

しかし、次第に転ぶこともなく、しっかりと走ることが出来るようになり、速く走れるようになり、遠くまで走れるようになる

そうやって、一人前の社会人になっていきます


しかし、それでは終わりません

次は、教える側に回ります

自転車の乗り方を知らない子供に、乗り方を教える番です

弟に乗り方を教えたことがありますが、結構教える方も骨が折れる物ですね

子育ても同じです、時には乗り方を見せてやり、時には転ばないように支えてやり、また時には補助輪として支えてやる

そうやって乗り方を教える

そうやって生き方を教える

凄く似ていますね

不思議な感じがします


それから、似ているところがもう一点

自転車に乗るとき、いちいち乗り方を意識する人はいませんね

どうやって乗るのか、言葉にすることも非常に難しい

自分がどうやって乗っているのかも解らない、でも『感覚』で乗ることが出来る

人生も同じだと思います

普段、自分がどうやって生きているのか意識なんてしません

でも、それを全く『教わらない』で生きた人というのは、生きていくことは出来ないです

学校で学んだのではないです

自転車の乗り方がそうであるように、次第に覚えていった

そういうところも、なんだか似ている気がしますね


妙に長くなっしまいました

最後に

僕はまだ補助輪付きの自転車に乗っています

それは忘れてはならない

でも、いつか、補助輪が外れる時が来るでしょう

その時に、出来るだけ速く、出来るだけ遠く、出来るだけ色々な場所に走っていけるように、今できることをやりたいです

そして、転ぶこともあるでしょう

でも、立ち上がってまたペダルを踏めば『倒れる』事はなく走る事が出来るようなる

転んでも、倒れる事はしません

いつも、『ペダルに足をかけて』この長い旅路に向き合いたいです