栃木県立 宇都宮女子高等学校 (古い校歌シリーズ その1) | 校歌の広場

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高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

今回から、制定が古い校歌の紹介を始めましょう。

 
このブログで最初に紹介した愛知県の愛知一中(現・旭丘高校)の校歌制定は明治37年、これが"日本最古"と紹介されている文献がいくつかあるようです。
しかし全国は広いもので、それ以前に校歌を制定した学校は少なくとも10校以上はあると思われます。もちろん旧制時代なのですが現在でも歌われているところも少なくなく、まだ未調査の地域でも見つかる可能性はあります。
 
最初は栃木県の宇都宮女子高校です。
 
県都・宇都宮市、JR宇都宮駅から西へ2kmほどの栃木県中央公園近くにある女子校です。通称は"宇女"、"宇女高"で、栃木県でも有数の歴史と進学校として高い人気があります。
 
明治8年に当時の栃木県庁所在地だった栃木町(現・栃木市)に栃木女学校として開校しました。140年以上の歴史がある、現存する公立の女子校では日本最古の学校だそうです。
明治12年に栃木県第一女子中学校と改称しましたが、興味深いのは"女子中学校"という名称です。女子の旧制中等教育学校は、ほとんどが最初から"女学校"か"高等女学校"だった中で極めて異例なことでした。
更に数年後に旧制・栃木県第一中学校(現・宇都宮高校)と合併して中学校の女子部となりました。とは言っても共学ではなかったようですが、これもまた他に例を見ない制度でした。
 
県庁が宇都宮に移転するとともに学校も移転し、明治26年に尋常中学校から独立して宇都宮高等女学校、宇都宮に2校目の高女が開校したのに伴い昭和6年に宇都宮第一高等女学校と変遷したのち、学制改革で宇都宮女子高校となりました。
学制改革の際、市立宇都宮高女を統合したようですが、この学校に関しては校歌などは未調査により不明です。
 
校歌は2つあり、どちらも旧制時代に作られました。
初代校歌は作詞:篠崎雄二郎 作曲:栗本清夫で明治36年制定です。
旧制・宇都宮高女 旧校歌 (全1番)
 くれ竹の 常磐のみどり なつかしや
 みさをのかゞみ 学びの友 雪にもをれず
 撓みなく あしたにゆふべに 睦びつゝ
 よみ書き たち縫ひ いそしめや
 賢母良妻 これぞこの下野の華 御代の花
 あなゆかし 黒髪の山高く
 幸の湖 ふかきを心
 いざいざ 波風のどかに 千とせ経よ
 
2代目の校歌は作詞:小林良一 作曲:梁田貞で大正10年に制定、これが現在の校歌です。
宇都宮女子高校 現校歌 (全2番)
 恵みの波を たたへたる
 幸の湖 水きよみ
 二荒の峰の 姫小松
 千代も変はらぬ 影うつす
 これぞここなる まなびやの
 庭に集へる 乙女らの
 心をこめて 朝夕に
 磨く操の かがみなる
 
栃木県の北西方、関東平野の北限をなす日光連山でひときわ目立つのは男体山です。男体山は別名二荒山(ふたらさん)、黒髪山とも呼ばれる霊峰で、山岳信仰の対象となり日光二荒山神社の奥院が置かれています。
幸の湖とはその近くにある中禅寺湖のことで、明治天皇が風光明媚な光景から命名されたそうです。宇都宮にあってこの湖を歌ったのは、栃木の名勝とともに明治天皇が何度かこの地に行幸されたことも少なからず影響していると思われます。
 
初代校歌の冒頭「くれ竹の常磐のみどり…みさをのかゞみ…雪にもをれず、撓みなく…」は、ことわざ"雪圧して松の操を知る"を取り入れたものでしょうか。
呉竹や松に女性としてのしなやかさや節操を、上品さを花に見立てて、婦女の徳を立てよという内容は戦前特有のものですが、大正時代まではまだ勇壮さよりは柔らかい言葉で歌われているものが多いようです。
 
進学校ですが部活動も盛んで、弓道部や競技かるた部、放送部などが全国大会に出場しています。