パキスタン映画「Khuda Kay Liye」裏話 | 白山駅のブログ
2008-10-07 07:08:51

パキスタン映画「Khuda Kay Liye」裏話

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昨年公開された映画です。おはようございます。白山駅です。




映画Khuda Kay Liyeの監督Shoaib Mansoor監督の直筆サイン入りポスターです。


今年の福岡国際映画祭で上映されることが決定した関係で、7月24日から8月6日まで国際交流基金による招聘でショエーブ・マンスール監督が来日していました。



『KHUDA KAY LIYE-IN THE NAME OF GOD』(邦題:神に誓って)

イスラームにおける音楽の問題」をテーマに選んだシリアスな内容の映画で、舞台もアメリカ、イギリス、アフガニスタン・パキスタンとそれぞれの場所で同時展開していきます。また映画の設定も2001年の9.11を背景にアメリカで起きていたイスラーム教徒に対する排他的な政策なども描き出して、とても意味深な問題定義がされています。それぞれ道を違えて行く兄弟の対比やイスラーム指導者の穏健派と過激派・・・。それぞれを対照的に描き出すことで問題点が何なのかを見た人がはっきりと把握できるように描かれています。


Shoaib Mansoor監督について

現在57歳。映画監督、パキスタンのテレビドラマの脚本家、作詞・作曲なども手がける。初めての映画監督作品となったのが今回のこの映画。パキスタンにおいて非常に有名な人物ではあるが、メディア等に登場しないため、一般の人たちに顔は知られていないという。


昨年の4月4日、実に43年ぶりにインドでパキスタンの映画が公開されました。


■この映画を作る動機について

子供の頃から監督自身が抱いてきた様々な事に関する疑問。そしてそれらはなかなか的確な答えが見つかるものではなかった。それはなぜかと考えたとき、宗教は結局、頭の問題ではなく心(信仰心)の問題であるからという結論に至った。

現在人間はすべての分野・頭脳的な面では成長を遂げているが、宗教的な問題では未だ解決できていないことが多い。宗教において進歩とはいったいなんであろうか?

こういったことをこの映画を作ることによって解決したかった。

ムスリムである人々が色々な事に関して感じている一種の“罪悪感”(今回はそれが「音楽」に対するもの)を払拭し、同じ考えを持った若者たちに1つの回答を与えたい。

宗教を拠り所とする少数の人々が音楽を禁じているが、監督は「音楽と絵画」が神の与えてくれた最も美しいものだと確信しており、そういった美しいものを神が禁ずるはずがないと考えている。


■裏話

1987年、パキスタンにおけるNational Songのコンペティションがあったときに「DIL DIL PAKISTAN」という曲を作曲。この曲を演奏していたのが、パキスタンの最初のバンドの1つ「Vital Signs(生命兆候)」であった。3人組のロックバンドで彼らと16年間音楽をプロデュースするなどとても親交が深かった。しかし、それぞれ離れた場所で活動している間にリードヴォーカルのジュネード・ジャムシェードがイスラームに偏り、テレビに出ては「音楽はハラーム(神が禁じたもの)だ」と演説をするようになってしまう。音楽を聴く側の一般の人々は余計に音楽を聴くという行為に対して罪悪感を抱くようになってしまう。そんなこともあり、他の人たちが監督の元を訪ねるようになる。「彼(ジュネード)のいうことは正しいのか?」「音楽はハラール(神が許したもの)なのか、ハラ-ムなのか?」こういった自身の体験をもこの映画には描かれている。

そしてこの映画作成をきっかけにジュネードとの関係を戻そうと考えた監督は、当初マンスールという主人公の一人で兄弟の兄の役をジュネードにやらせる予定だった。実際ジュネードは今まで色々なオファーがあったがすべて断ってまずはショエーブ監督の作品に出演しようと考えていた。それほど彼がショエーブ監督に抱く尊敬の念は深かったからである。

写真等もすべて準備がそろい、いざ撮影というところでモウルヴィー(イスラームの宗教学者)に再び引きずり込まれ、監督から離れていってしまい現在はまったく連絡がないという。



7月26日にうちの大学へ監督が来校されたときの公演で話していた内容をかいつまんで紹介しました。

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