NY個展開催のお知らせ


 不肖ながら初個展を開催致しますので告知致します。


書家・篆刻家 伯豐道人の制作アレコレ



Kawauchi Hackhoh solo exhibition

「 ONWARDS!! ~ The Calligraphic Life ~ 」

会期:2012年9月4日~9日
   12:00~18:00
   ※4日17時よりオープニングパーティー・パフォーマンスを開催します。

会場:Ouchi Art Gallery
170 Tillary Street, Suite 507, Brooklyn, NY.
010 1 347-987-4606


ONWARDSは、「前進」を意味する言葉です。
偶然読んだnoel gallagherのブログで文末に使われていたのが気になり、
欧米の友人に意味を聞いて知りました。
「前進あるのみ!」との思いを込めてこの言葉を標語としました。

副題は、The Calligraphic Life 。ここに並ぶ作品達は、私の生活そのものなんです。もはやライフワークと化し、寝食以外は専ら書と篆刻の制作・指導に明け暮れる生活です。そんな現状を表す端的な言葉かな、と思っています。


【展示の柱】

①写真作品

今回は、欧米で流行している漢字タトゥーに着目してみました。
日本では悪者のタトゥーですが、欧米ではポピュラーな文化で、
結婚や出産、両親との別離等に際して記念に言葉を彫り込むことは
割と一般的で、特に社会的に悪いイメージなどはないようです。
そんな中で彫り込まれている漢字達は奇妙奇天烈、何の意味もなさない
文字列や不可解な単語だったりします。

そこで、字の意味と様々な書体の美しい姿を知っている人間が、
文字の美、書の概念を盛り込んで、疑似タトゥーを作成しました。
皮膚に直接字をしたため、照明等に意匠を凝らし撮影。
撮り終わったら流して、次の作品を書いて...と、
人間をキャンバスにした作品です。
洗い流してしまうので書いた字は写真にしか残りませんし、
字形だけでなく、モデルや照明など作品の構成要素は様々です。
今回は選りすぐりの10点を展示し、販売します。
ヌードありです(笑)

書家・篆刻家 伯豐道人の制作アレコレ



②篆刻字(仮称)

書家・篆刻家 伯豐道人の制作アレコレ-愛燦々


篆刻字(仮称)は、石膏ボードを素材とし、平面に文字を彫り込んだ作品です。こういうと単なる刻字に思われるでしょうが、作品構成は印稿を作るかの如く、赤の面に太い線で力強く、満ち満ちと線を彫り込んで、空間を制していきます。立体的な印影、だと思って頂ければと存じます。

この作品制作の背景にある理念は次の通りです。
日本の篆刻は、書の展覧会に組されるようになって以降、
作品が拡大してきました。中国では1寸(約3cm)までの印が、
日本の展覧会では5cm、6cm、大きいものでは12cmまであります。

その結果、印材そのものに重きは置かれず、
ひたすら印影のみを鑑賞の対象とする傾向となりました。
大きい印材で、鈕など意匠を込んだものは極めて少ないですし、
材質もそこまで上質なものは希有ですからね。

私としては、もっと拡大したら面白いんじゃないの、という思いと、
印影を鑑賞するのであれば、押したものでなくてもいい、
初世蘭台の描印なものもありなんじゃないか、
いっそ立体的にしたら見栄えも増すのではないか、
そういう思いでこの作品を制作し始めました。

今日では、中国印材も難しい状況になって来てますから、
新興の新しい材をうまく活用するという狙いもあります。

今回は篆刻字作品は三点程出品します。

書家・篆刻家 伯豐道人の制作アレコレ-翰墨縁 金石壽



【評論文】

院生の頃より親しくしております亀沢孝幸氏に評論文を書いて頂きました。
私の意思を余す所なく文に興して頂いた最高の文章です!!
ここに謹んで発表致します。


「書くことの痛み -川内伯豐ニューヨーク初個展によせてー」

 書は筆と墨と紙によって成立するものとはかぎらない。書の歴史のおよそ半分は、刻まれたものが占めるからだ。亀甲、獣骨、青銅、竹、木、絹、石、紙―これらはいずれも、東アジアの長い歴史のなかで文字が書かれてきた媒体である。しなやかな獣毫からなる筆の鋒先は刃の等価物であり、文字を書くことは対象を傷つけ、切り刻むことである。したがって、書かれた文字の姿は傷跡にほかならない。石や木に文字を刻み込む篆刻が書の範疇に属するゆえんでもある。

 いま川内伯豐は、上記のリストに人間の身体、生ける皮膚を加える。もっとも脆く傷つきやすいもの、静かに拍動する生命に文字を刻み込む。それは現れては消えてゆく今日の無数の電子的な文字に失われている書くことの痛み、物体を傷つけることによって痕跡を刻み込むという行為の厳粛さをふたたび思い出させる。書がもつ一回性の比類なき緊張感はここから生まれる。伯豐の作品は、こうした書の原理を照らし出してみせる。

 今回の個展で発表される作品は、かならずしも伝統的な書の形式に則るものばかりではない。伯豐の本領というべき本格的な篆刻作品は、主役の座を占めてはいない。むしろ伝統的な形式からは逸脱するような作品が中心であり、書をベースにした新しい表現を積極的に模索しようとする姿勢がうかがえる。そこにはもちろん、書というマイナーな芸術をより開かれたものに、ある意味では大衆化しようとする意図があるだろう。書の文化を共有しないニューヨークという場所をはじめての個展の会場として選んだ理由もそこにあるはずだ。書がもつ美の可能性が、伝統という束縛からもっとも自由であるコスモポリタンの感性に訴えることができるか否かを試そうというのだ。それは無謀にも、勇敢にもみえる挑戦である。

 だが伯豐は、安易なエキゾティズムに走ったり、書を抽象的な造形芸術に還元したりはしない。伝統の古い因襲に拘泥するでもなく、またそれを完全に否定しさるのでもない。そうしたバランス感覚もまた、この若き芸術家の稀有な素質である。伯豐は伝統的な書と篆刻の制作を活動の中心として歩んできた書家・篆刻家であって、今回発表される作品が一見伝統的な形式から乖離しているようにみえようとも、その核心において書の古典を踏襲していることを見逃してはならない。表面上のインパクトをとりはらってみたとき、そこに残るのは、驚くほど古風で純粋な書のすがたである。
 
たとえば石膏板に文字を刻み込んだ作品は、「方寸の芸術」ともよばれる篆刻を極大化し、生々しい彫り跡を残したオブジェとして提示される。一般的に篆刻は、紙の上に捺された印影を鑑賞の対象とするものだ。そこでは、石などに刻まれた刀の彫り跡が朱と白の二次元的な世界に還元されている。むろん本来の篆刻とは、印影から刻まれた物質の存在を、さらには刀を振るう人間と刻まれる物質の激しくも繊細な接触の瞬間を読みとるものだ。しかし、それが可能になるにはある程度の訓練を要する。伯豐は、篆刻のもつこうした彫り跡の生々しい手触り、物体の充実した存在感を極大化して伝えようとする。そこに刻まれる文字は古代中国の書体であり、伯豐が長年かけて学んできたものである。篆刻という芸術をまったく知らない人であっても、刻線の躍動、構成の妙、優美な文字の姿といった本質的な要素を、あますことなく味わうことができるだろう。

 かくて表現はさまざまであれ、すべて書の媒体として周到に選ばれたものであることがわかる。それらは、書がつねに対象との一回限りの格闘であり、自己と世界の一瞬のまじわりの痕跡であることを示すものだ。その生々しく、ときに痛々しくもある傷跡としての書を、わたしたちは目撃するだろう。それは遙かな時をへだててなお、生ける人間の息吹をありありと伝える力をもつ。伯豐は、書くことの痛みと引き替えに古代の文字を鮮やかに甦生させるのだ。

亀澤孝幸


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日本の人もNY在住の人も展覧会ご期待ください!!!

伯豐道人WEBSITE(英語版鋭意制作中!)