今日は久しぶりに、ナラティヴ・セラピーの学びの場に参加。だいぶご無沙汰してしまったが、やっぱりいい。ここで扱われている言葉やあり方、雰囲気はやっぱり好きだし、自然と呼吸が出来る感じ。森の中で深呼吸したくなるのと同じように、深く深く呼吸を吸い込むような良さがある。

 

今回はRC(リフレクシヴ・コンバセーション)に参加。スーパーバイザーとは違う、対人支援者を如何に認証していくかの取り組みを、NPACCで開発し、それを実践していく場である。

これがとても興味深い。話者を決め、それぞれの取り組みを話しながらインタビュー。RCチームがそれを丁寧に拾っていきながら、認証していく。タイパ、コスパと言われる時代。それに逆行するようにしっかり時間を取る価値がある。こうした時間は、自分たち対人支援者を潤わせ、次に向かう活力を得られる。

褒めるとは違う言語形態ややり方を身につける新しい学びは試行錯誤しながら、言葉を選んでいく。またそれが、「このグループは自分のためにこれだけしてくれているんだ」というありがたさに繋がっている。自分の振り返りで言葉にしたけれど、有難し、という言葉がしっくりくるのだ。

 

自分ではなかなか目を向けない当たり前の部分や、取り組もうと意図したところ、その言動の背後にある大切にしているものを「くみ取ろう」とする姿勢。このダブル・リスニングの姿勢は、ナラティヴならではでもあり、とても人間的なものだと感じる。

 

「わかんないけど来週も頑張れそう!」

この感想をいただいたとき、このRCが目指している「ほどよい状態を維持すること」ってこういうことなんだろうなあと感じる。ほどよい、がナラティヴ・セラピーらしいのだ。ほどよいが如何に尊いか。対人支援をしている人ならわかるはず。

 

この形式をただ真似するだけでは、きっとうまくいかない。このワークショップ前に動画でみた「RCが生まれる背景や大切にすること」をしっかり在り方として自分のものにしてから(ものにしなくても大切にしているんだという認識)RCを受けないと、いいものにはならない。ナラティヴ・セラピーがテクニックではなく、在り方を大にしているのと根本的には同じこと。

「ただ話して発散して終わり、をナラティヴは許さない。厳しいことがあるんです」とは、ワークショップをファシリテートしてくれたこうさん(国重さん)の言葉。ナラティヴでのかかわりは、豊かな会話やユーモア、時折笑い声がでるようなセッションになることが少なくないが、その裏にはこのような厳しさがあるのだ。

 

RCグループに参加する人たちの在り方、言葉の与え方など試行錯誤をする必要はあるが、これからの時代、とても大事になってくるかかわり方、協働の形だと思う。

キャリアカウンセラーの集まりから始めて、もっともっと多くの人とともに研鑽、探求していきたいと思っている。ナラティヴ・セラピーの実践勉強会で、みんなで試してみたいなあ。

 

頭は疲労しているが、ココロが興奮している、久しぶりのナラティヴに触れた日曜日。これは興味のあるみんなで試していきたい。自己効力感を高めて、ほどほどにいい状態を作る、という所に、ナラティヴの個人セッション以外の可能性を感じる。

ナラティヴ、やっぱりいいなあ。自分の特性にもあっている。