梅雨明け | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

今年の梅雨は、いつ頃明けるのだろう。


おれは、夜の暗闇は好きだが雨の日の薄暗さは嫌いだ。

ついでに湿気の多いのも嫌いだ。


だから梅雨が明けるのが、待ち遠しい。


ところが、自然相手の話なので毎年何月何日に必ず梅雨が明けると言う保証は無い。



なかなか梅雨が明けない年もある。


おれが、八光流の師範になる為に埼玉県の本部道場に行ったのは、そんな年で9月だと言うのにまだ梅雨が明けて無かった。


当時は、師範技の教伝は1週間掛けて行われていた。


練習自体は、普段のおれの師匠との練習に比べればそれ程厳しく無かったが、その頃の本部道場の封建的なムードがおれを憂鬱な気分にさせていた。


おれの技は、野外練習で身に付けた荒っぽさもあって本部道場の正統な技とは違和感がありそこを指摘される事に鬱陶しさも感じていた。


そんな1週間の修業期間の内で雨が降らなかったのは1日だけだった。


やがてその1週間が過ぎ師範になったおれは、師範許状受け取って本部道場を出て京都行きの列車に乗り込んだが、その時点ではまだ雨が降っていた。


おれは、本部での日々がつくづく堅苦しく息苦しい1週間だったと思い返していた。


車窓の景色は、雨模様で薄暗く眠気を誘われていつしか眠ってしまった。


ふと目覚めると名古屋の手前だった。

気付けば雨が上がって薄日が射していた。


名古屋を過ぎた頃晴天になった。

おれは、この時自分が師範になった事を改めて実感した。


久しぶりに降り注いだ太陽の光が、本部道場での堅苦しく鬱陶しい思い出を払拭してくれた。


「梅雨明けか」と呟いたおれの胸中に初めて師匠公山先生宅を訪問した日から師範になるまでの八光流に纏わる様々なシーンが去来した。



止まない雨は無い。

明けない梅雨は無い。


何にせよ梅雨明けと言うのは、気分が良い。


例えその後に地獄のような猛暑が待っているとしても。