「飛躍」はしたくない理由

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たまに知人から励ましの意味で「飛躍できるといいね」と言った趣旨のことを仰っていただくことがあります。

その際に、私が「飛躍」に消極的なことを述べるので、怪訝に思われる方もおられるようです。

 

私も、前に進むこと自体は続けて行かなければならないとは思っており、それを「飛躍」と言うのなら、正しくそうしたいと思っています。

 

ただし、どうしても「飛躍」と言う言葉自体からすると、一気に上がるとのイメージがあり、自分にそぐわないと思ってしまうのです。

一気に上がるというのは、運や他人の力による要素が強いように感じ、そうなると少し状況が変わっただけで急激に逆戻りする可能性も十分あり得ます。そうした急激な変化が嫌いなのです。

 

一方で、一気に大きくは上昇しなくても、着実に一歩一歩上がるのであれば、それは自分の努力に基づくものですから、状況の変化により逆戻りするおそれは少なく、仮に多少の逆戻りがあったとしても、すぐに回復可能なはずです。

 

もっとも、そうは言ってもビジネスである以上、どこかで飛躍と言うかブレークスルーするポイントが無ければ長期的に続けて行くのは難しく、その際にどうしたって他人の力を借りざるを得ないのも事実だと思います。

 

しかし、それでも飛躍をすることには懐疑的な印象があります。

 

と言うのも、これを言うと反感を買いそうなのですが、私のこれまでの努力と(自分で言うのもどうかと思いますが)人間性を考慮したら、本来ならとっくに飛躍していたように思います。

それが、そうならなかったと言うのは、一つには、なかなか新規参入が難しい時代背景があると思います。ただ、これは誰でも同じで私に限ったことではないでしょう。

それ以上に大きいのは、これも怒られそうですが、私に対する差別が間違えなくあったと思います。この差別と言うのは、侮辱したり、脅したり、何か言うとすぐ否定したりと言った、積極的な差別も勿論ありますが、無意識のうちに私を関心を持つに値しない人間と決めつけられスルーされ易いと言う、消極的な差別が圧倒的に多かったと思います。

 

そして、そのような状況が長く続いて来たことで、(そう言ったことは極めて少ないですが)変に好意的に見られたり評価を受けると、何か企んでいるのではないかと言った不安感や不信感の方が上回ってしまい、自分としても、他人の力を借りることに乗り気ではなくなってしまっていることもあります。

 

一方で、無理に飛躍しなくても、一歩一歩でも前に進んでいる限りには、短期的な状況の改善は難しくても、破綻をすることはなく、自分の性にも合っているように思っています。