恋って面倒くさい、という言葉を
どこかで見た気がします。
恋のように付加価値の多いものでさえも、
面倒くさくなる。。。
という心理はさておいて、
今回は、「面倒くささ」を
呼び起こすものについてのお話です。

面倒くささには二つあると思います。
一つには、
ある行為がどうすれば達成できるかわかっていて、
その過程の煩雑さが嫌悪感を引き起こすもの。

もう一つは、
どうすればある行為が達成できるかよくわかっていないために、
その過程を想像すること自体が嫌悪感を引き起こすもの。

さて、お子さんが「えええ、めんどくさーい」
というときは、どちらの場合で言っているのでしょうか。

本心は後者であるのに、前者であるかのように言うと、
空しい自己満足でしかないのですが、
お得なことがあります。

本当はわかっていないということを、表明しないですむということです。

そういう時、前者の人に対するような説得は何の意味も持ちません。
逆に、しめしめ、うまくいった、とばかりに、
問題はどんどん先送りされます。
それは無意識のうちにお子さんが望んでいたことであるので、
なかなか問題点が露呈されません。

結論です。
どちらにしても、
ある行為が達成されるための過程が煩雑なものでなく、
それになれてさえいれば、
「面倒くさくはなくなる」のです。
その意味では、
「愛は面倒くさくはない」のです。
愛を持続させるための過程を楽しむから、
愛は持続するのでしょうし、
それを煩瑣に思った瞬間に、
愛も恋も、崩れ去るのでしょう。