思い出はドラマさ | 黄昏に語りて 〜天野滋さんの詩にのせて〜

黄昏に語りて 〜天野滋さんの詩にのせて〜

 
天野滋さんのどこまでも優しく温かい詩をこよなく愛する
人生の秋を迎えた一人の男のつぶやきです。

 皆様お元気ですか。ポストコロナも二年目となり、周りには子ども達の笑顔が溢れるようになりました。そして毎年必ず、この日がやってきます。コロナ禍に親を亡くして自分も天野さんが亡くなった年齢を遥かに越えてしまった私ですが、なぜか最近繰り返し頭に浮かんできて心に渦巻いている曲を、今日はご紹介したいと思います。NSPの隆盛期に出された大好きなアルバム「風の旋律」に収められ、かの名曲「面影橋」のB面(昭和の表現ですが)にもなっている素敵な曲です。

 

   思い出それはあの日に 君と別れてから始まった

   思い出それはドラマさ 心がスクリーンさ

   全てが同じ景色の中に 静かに息づいている

   全てが同じだけれど 君の姿がそこにない

 

 思い出が「君と別れてから始まった」という表現が心に残ります。幸せの中にいる時には幸せがわからない、青春真っただ中にいる時にはそれを青春だと意識しない、悔恨とは誰もが必ず後になってから感じてしまうものであることをさりげなく表現しているように思うからです。どんな素敵な出来事も幸せな日々も必ず過去となり、思い出になってしまいます。君を失って過去となったドラマを、君の姿がそこにない辛い思い出を、天野さんは切々と歌っていきます。

 

   思い出それは心に根を張り 枝を広げてく

   思い出それは傷跡 悲しみしか残さない

   全てが絡みあってる 長い長い長い物語

 

 人は不幸に直面して思い出をたどっていくと、必ず色々な場面に思いあたります。あそこでこうしていれば、あそこであんなことを言わなければ、どこまでも絡む長い長いドラマが悲しみの思い出として根をはっていくのです。そうすると「思い出」とは、もう取り返すことのできない過去をひたすら憂いながら傷跡を痛め続ける、そんな残酷なものなのでしょうか。

 

   君の姿がそこにない 僕の影だけ 他にない

 

 今私にとってかけがえのないものは子ども、もちろん大人になった今もかわいくて時々合う時には本当に幸せを感じます。それでも小さな頃の写真を見ると、もうこの頃の娘や息子はいないんだという寂寥感を感じてしまうことがあります。でも思い出は消えません。写真ではない、小さな頃の子どもと過ごした幸せな映像はいつまでも消えることなく、いつでもどこでも心の中で再生できるのです。

 思い出はドラマです。でもきっとそれは悲しいドラマではなく、紛れもない自分の人生の一頁を彩った幸せなドラマに溢れているはずです。悲しい思い出を歌った天野さんが亡くなる前に見ていた心のスクリーンには、三人で歌っている幸せなシーンが溢れていたことを、今はただ祈るばかりです。

 

 

天野滋さんの命日を偲んで。

DANKOROさん、お借りしました。ありがとうございます。