今日は神社が忙しいので簡単にブログを書きますね!。
先日、地区民生委員の日帰りバス研修で、午前中はおわら風の盆で有名な越中八尾(富山市八尾)の街中を散策したのですけど、昼食を挟んで午後からは、富山市内にある漢方の丸薬で有名な池田屋安兵衛商店を見学しました。
富山の薬の歴史は、加賀藩の支藩である富山藩の第二代藩主・前田正甫(まえだ まさとし)が腹痛を起こした際、万代の反魂丹(※堺の万代家に代々伝わる生薬)が効いたことから、正甫は天和3年(1683)に万代家11代目・万代常閑(まんだい じょうかん)を富山に呼び寄せ、処方のレクチャーを受けました。それ以降、正甫は独自に調合させた「反魂丹」を印籠(いんろう)に入れて常時携帯したそうです。
元禄3年(1690)、江戸城内において、三春藩主(現福島県三春町)・秋田輝季(あきた てるすえ)が激しい腹痛を訴えたため、その場に居合わせた前田正甫が携帯していた反魂丹を服用させたところ、すぐに腹痛は治まりました。これを見ていた諸大名がこの薬効に驚き、自分たちの藩内での販売を頼みました。
正甫は薬種商の松井屋源右衛門に反魂丹を製造させ、諸国に行商させました。この松井屋による行商が、富山の売薬に代表される医薬品の配置販売業の元となりました。
なお、私の1年前のブログ・富山の売薬さんの紙風船もご参照ください!。http://ameblo.jp/hajikamijinja/entry-12080663706.html
店内では、丸藥製造の実演と説明がおこなわれていました。
その説明では、江戸時代、お伊勢参りのブームとともに、その頃のお土産は赤福ではなく、その効能が全国に知れ渡った万能薬・萬金丹でした。
富山の反魂丹が伊勢の萬金丹に比べあまり知れ渡っていなかたので、一計を案じて「越中富山の反魂丹 鼻くそ丸めて萬金丹 それを呑む奴アンポンタン」という地口を広めて、全国的に知られるようになったのだそうです。
そのあと、富山県砺波市の散居村(さんきょそん)の真っただ中にある、おかき処 御菓蔵(㈱北越米菓製造砺波工場)で見学と買い物をおこないました。
ここでは、おかきなどがお茶を飲みながら試食することができて、私は生まれて初めて焼き立ての熱々のかきもちを試食させてもらいました~♪。
私は、大袋にパックされたほたるいかおかき(¥300)を買ってきたのですが、これがまた美味くて、あっという間に娘たちに食べ尽されてしまいました~。
しかも、無料でお土産(おみや)までいただいた次第です。m(_ _ )m
で、富山県の砺波市(となみし)まで来ると、家と家の間隔が離れ田んぼに囲まれた屋敷林を持つ農家をよく見かけるようになります。
これが有名な砺波平野の散居村(さんきょそん) なのです。
カイニョと呼ばれる杉などの屋敷林に囲まれた家は、防風の役目を果たし、かつ夏涼しくて冬は雪害から守ってくれます。また、落ちた枝葉は昔は燃料として使われました。
このように、周囲を水田に囲まれた家は農業をする上では大変便利かもしれませんが、隣りの家に用事で行くのに離れていて不便ですし、郵便配達人泣かせですよね!。
散居村を一望するには、イオックス・アローザスキー場のゴンドラに乗って望むのが一番です。
私もスキーに行ったおり、ゴンドラからその風景を見て、その美しさに絶句しました!。
まさに日本の原風景であります。
ちなみに、国内最大とされる砺波平野の散居村ですが、約7千戸の家々が点在するのだそうです。
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