僕の生い立ちと これからのこと | 喜早純也のアメブロ

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先日、母が倒れたので三重に1日だけ帰ったのですが、

その時に親戚の方達の髪も切りました。

そしたら
嬉しいお手紙と贈り物が届きました!


どこにでもあるような話ではありますが、
誰かのちょっとした行動のきっかけとなったり、

身内も見てる方がいるかと思いますので、共有してみたいと思います(^^)

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こんな感じで
追伸と、従姉妹のひみちゃんの言葉と、
お豆も添えて送ってくれました。


有り難い言葉に感謝します。


そして、最後に書いてあったように

「こんな小さな自慢も親の幸せなんですよ」

本当にそう。
僕の常に伝えたい気持ちの一つでもあります。


些細に見えても自慢をしてほしい。

誇りを持ってほしい。


僕の大切な師匠の由美子叔母ちゃんからの手紙です。



僕はめちゃくちゃ従兄弟や叔母ちゃん達と仲良くしていただいております!

そんな素敵な繋がりを続けてくれる事、
本当に感謝です。

ありがとう(^^)





で、今日はちょっとシリアスな話も。
一緒に考えてみる時期なのかもしれないから、この機会に語りたい。


母が倒れて三重に行ったその日、母の面会の後、お婆ちゃんと叔母ちゃん達と、そこに「兄貴」と席を共にする時間がありました。


出来不出来を語る話ではないですが、、、
母がいつまでも働く理由の一つは兄貴の存在でもあります。

僕の物心ついた時からずっと、親に負担をかけている姿を見続けていました。


何度も何度も、デカイことばかりを口に出してはやり遂げず。。

いつまでも負担をかけ続けている人。


学生時代から、兄貴は爆発的でとんでもなかった。
4つ下の僕にとってはR18指定の映画を生で見させられてるような地獄のような日々。
まだ10歳くらいなのに胃潰瘍みたいなものになったり…。

詳しく語るほどナンセンスで、ドン引きするだけなので想像にお任せしますが、
世間の常識ではない事が起き続けていました。

家は映画より酷いくらいめちゃくちゃだった。
(こんな事は地元の人は誰でも知っているので隠すことでもないです。)

何度も、「殺めるべきなのでは…」

と不謹慎にもそればかりを考えなくてはいけないような状況だった。



それでもなんとかしようとする親がいたから
僕はそれを見守り、自分のことは自分でやることだと思っていた。




それがあったからこそ今の僕がいます。

完全に反面教師型です。


「自分のことは自分でやる」

そうしてきた理由の根源です。




もちろん、普通にたくさん愛情も世話もしてもらいました。

親の苦労、愛情、僕はしっかり満たされていました。

ただ、兄貴と比べたら…負担率で言えば計算機では計算できないとは思う。


だから、子供心ながらに
「これ以上の負担はさせたくない」
としか思わないで過ごしていました。


母の嫌がることはしない。

母の喜ぶことだけをしてあげていたい。

母を守ってあげていたい。

自分の気持ちも狂うから、
あまり深く関わる事はやめよう。

人の前で泣くのはやめよう。

本当の胸の内は誰に語ることなく誤魔化そう。

そんな覚悟めいた意思を持って生きていました。

反抗期は一度もなかった。

忙しい母を見れば、朝起こしてまでご飯を食べさせてもらうことはしたくはなかった。


だから、私生活も自立をしてしまっていましたし、
東京に出てくる時、貧乏時代の時、独立する時、何一つ甘えることはしなかったです。
(それでも、たくさんしてもらったと思っています。)

強すぎるが故、甘えたい気持ちを堪えていて。


なんだか、兄貴と比べると寂しさもありましたが…

それが僕の信念でした。





先日、兄貴と再会したのは何年ぶりかわかりませんが、

ここ20年で3回くらいしか会ってないかもしれません。

15年前の爺さんの葬式の時、家族が揃ったのも10年ぶりだったか、、

いろんなことが起きて、母はボロボロ。
最低最悪の日となりました。



「今の状態を作った兄貴を憎むのか?」

でも、意外とそんなこともないものです。

それをしても母が嫌がるだけですから。

そして、愛想の良く、調子の良い兄貴でもあるので、話せば笑って仲良くできる人。



だけど、口だけの男に、それを信じ続けて世話をする母には、
同じ兄弟として許せない気持ちはあります。

僕だって母の子供ですから。。


繰り返しますが、それを思ったとしても
母が嫌がるから何もしません。


逆に、文句を言いながらも世話をしてあげる母。

そのために働く母。

そんな母の姿を見るたびに

「人を信じ続ける」

その強さにはいつも心を打たれるばかりです。


そんな母には自分の仕事にもポリシーがあり、やり通していく強さ。

元々は料理人。

今では全国チェーンのアパレルブランドのトップセールスを誇る母ですが、、
67歳にしては偉業なんだとか。

人のため、会社のため、自分のために。
尽くしきる人。


僕にとって一番最大の教えのような、
今の僕としても、一番その姿勢を宿していきたい心意気です。


そんな母が倒れ、
兄貴との会話の中に、僕の最も嫌いな話と、勘に触る言い方がありましたので、親戚の前だからこそ怒ってしまいました。



これから先、わかってはいますが、

「誰が誰の面倒を見るか?」

きっとブログ読者の方も同じ境遇の方がたくさんいらっしゃると思います。

だからもあって、
なんとなくそれを書いています。



僕は東京に出て、自分のことを今のように高めてはきましたが、

「母にもしものことがあれば、帰らなくてはいけないのではないか?」

そんな不安が常にありました。

身体をいつも壊していたから。


母には申し訳ないけど、それはきっとできないと思っていました。

母も望まないだろうでしょうし。


僕はこの道で僕なりの頂点を目指すことにブレーキを言い訳にしたくなかったから。


そんな時、その当時には知らなかったことだけど、「保険」に入ることを学んだ。

まだ、給料も手取りが20万くらいの時期。

自分の分と、母の分。

それなりの値段。

もしもがあっても、そこでなんとかしてあげられるようにと掛け始めました。
およそ20年近く掛け続けています。

結果、今に至るまで母は小さな病気はあれど、なんとかかんとか無事にいます。

初めて保険も活かされる時なんですね。


カッコつける話ですが、
それができている自分は誇りに思えていました。

保険以外にもフォローする機会は何度とありました。

こういうのは口で言うほど簡単ではない。

むしろ、仕送りをもらいたいくらいの時期。

ましてや、母は母でバリバリに働いている。

決して何一つ困ることなんて本来はないはずなんです。

兄貴の問題さえなければ。


ましてや、弟が背負う話でもない。



本当ならば誰もが成人。

みんなが力を合わせれば、みんな円満になることがたくさんあります。

もしも、誰かが傷を負っているならば、気持ちよく支えられると思います。

大人としても、家族としても。

僕は単にそんな繋がりでありたい。

無駄な迷惑で負担をかけあいたくはない。

臭い話だけど、それが一番心地よいことなんだから。

みんな健康なのに、
それがまともにはできない家族なのが残念でならなかった。



だから、
こうして事が起きた時こそ、力を合わせあえば良いだけのこと。


だけど、兄貴から口に出されたのは

「今後のこと」。


今はなんとかこんな風に経営者になったから、支えるパワーも過去とは違うでしょうが、

一万円は誰にとっても同じ価値であり、労力なんです。

僕に託してくれたお客様の大切な一万円。
それを軽んじる人間にはなりたくはない。

だから、それを使う僕も同じような価値を感じるわけです。

湯水のように湧き出ることなんて何も無いものなんです。


未来だってどうなるのかわからないのだから。


そして、お金だけではなく、世話をすること、話しかけること、水を買ってきてあげること、車で送ること、僕を迎えに来てくれたこと。

どれを一つとっても労力です。


だから、親戚の方に感謝なんです。

やってくれた事の一つ一つが見えている。

見えないところがたくさんあるのだろうと想像もする。



だから、自分だって背負った負担は見えている。

僕の若い時に、母に掛け続けた保険も、
今、母に掛けているいろんな事も、歯を食いしばっていたことも。心の傷も。

全部、いつだって同じなんです。

今、僕にそれだけの力があるからやってるのではなく、そんな時期からもしているんだと言う事。


仮に兄貴がこれから何かをしてあげたとしても、

自分が苦しかった時でもそれをしてあげるだけの気前。

それを続けてきたという事実。

それをしなくてはいけない家庭の理由。

その継続した気前というのが「本性」のようなものだと僕は思う。


僕の続けている行動に嘘はない。


婆ちゃんを旅行に連れて行ったり、親戚を丸ごと旅行に連れて行ったり、東京でも常にご馳走したり、話を聞いてあげたり。

実家に帰り、友達に会いたい事も多かったけど、時間を惜しまずみんなの髪を切ってあげたり。

今度の誕生日の旅行も。


母の喜ぶ事ならばと

僕は何一つワガママを言わずに

どんな時でも気持ちよくしていた。


口に出したい愚痴はたくさんあったけど
心に留めて、母との繋がりを維持してきました。


それを行動してきたことが全てであり、労力なんです。

恩着せがましい事のようですが、

恩を返して欲しいと思う人ならば、恩を与える事なんて続けられません。

ただ、してあげたいだけの気持ち。

きっと同じ境遇の方もいらっしゃると思うから。

それは何も間違っていないと伝えてあげたい。

そして、こうして口に出す機会も必要なんだと思う。

理解者がいるだけでも救いの手なんです。

やりがいに変わるのです。


僕はともかく、
そんな気持ちのヒントになってほしいから。

口に出せない人は出して欲しい。

絶対に間違っていないから。




そんな過去の中
僕は今でもハッキリと言えます。

「僕は100%母の面倒をみる。守り続けます。」

そんな事は小学生の時から決めていたから。

というか、そんなものは自慢にもならない当たり前のこと。



頑固でワガママで、言うこと聞かずで、、
あまり好きではないところもあるんだけど。

それ全部、人のためにやっている姿だからこそ許せています。

だからこんな目にあっているのですが。。



僕がきっと強すぎたから、
あまりそんなところに力を注ぐ必要すらなかったから、、

この20年、助けてもらう事も
僕から甘えることなんて何一つなかったけど。


その分、母が僕に甘えられるのでしょうし、

それがまた、誰かのために何かをしてあげられているのでしょう。




そんな強い僕ですが、強くなる前は弱かった。

病弱でしたし。チビで弱虫だった。

小学生になるまでは母が近くにいないと泣き出すような。
母と側にいる事だけが幸せな甘えん坊でした。


だけど、母があまりにも忙しいから。

朝もいなくて、夜もいなくて。
家庭にも問題があって。

「自分でなんとかしていかなくては」


誰に相談をする事もなく、ずっと歯を食いしばって生きていた。

誰にも言えず我慢するだけの日々。
ただただ苦しかった。



そんな僕。

中学の時、どうしても通らねばならない道があった。

僕は望んで行動したわけではないのですが、
いろんなレッテル含めて、やるしかなかった。

それは、「不良の道」です。

不良と言っても見た目だけですが、、

僕自身、それによって学校で何かしら注意されるのは何も気にもしてはいなかった。

先生に叱られようと、何であろうと、そんな事には屈するほど弱くもなく、精神レベルは強かった。

ただ、別にそれがやりたくてやっていたわけではないからすごく悩み困った。

そんな素振りは見せることなんて出来やしないけど…


覚悟を決めて不良の道をスタートした日のこと。

髪を染め、変形の制服を着ていく時、
母と先生に直接話しをする事にした。

「今どうしてもこうするしかない。時期が来たらやめるから、ごめん。人を傷つけたり、迷惑をかけるような事はしません。恐喝も盗みも、薬物も命かけてやりません。許可をしてください。」

と。

変わった不良です。


母は先生に言ってくれました。

この子は決めた事はきちんと守ります。

理由もわかりますから…。

と。


家庭訪問で話しあった。

先生も本心では納得してくれたみたいだった。



そんな時期は、
中学2年から3年の夏にかけての話でした。

いわゆる、友人達とのケジメのようなものだった。

いきがったふり。

自分の性格には似合わない行為でした。


それも、兄貴の作った道の中にある七光りを背負うための、僕のくだらないプライドのためでしかなかった。


学校に行けば無駄に先生に怒らせている。
街に出れば殴りかかられるような無駄なストレス。

負けてはいけないプレッシャー。

ギスギスして、カッコつけたふりをして、、
でも、ちょっと目立ったことが優越感になったりもして…

だけど、本職の不良にもなれやしないし、友人の誘いも断る。

中途半端なカッコだけの不良。


中3の夏を終えた時、バカバカしさが溢れ出てやめた。


それにはとても勇気が要りました。

いきなり真面目になるとかダサい。

仲間から何をされるかもわからない。


アホな頭で必死で悩み、決行したのも決断したのは全ては自分だったが、

僕にはそれを決める勇気があった。

嫌な思いもたくさんし、怖かったけど
いろんなことを決別した。

その決断ができなくて路頭に迷った子もいるからこそ、もしも悩むことがあるなら背中を押してあげたい。


「自分の信念ではない事はやめよう。」




これも全て良い経験です。


どちらにしても、何かしら迷惑かけてたこともたくさんあったから

人の痛みと言うのか、身勝手ながらにも感じながら過ごしていた。

いろんなタイプの人の気持ちもわかる気がする。




そんな喜早家。

人に自慢できるような家庭環境ではないけど、
自慢できる親であり、兄貴でもあった。

それだけ兄貴はパワーがあり、僕にはない良い力もたくさん持っている。

僕なんかよりも遥かにカリスマです。

それは心から認めています。


だから、兄貴と親戚の方達との中での会話で怒ったのは
兄貴が自分が背負う気の無い発言と、身勝手な感覚。

だから僕はこんな風に伝えた。

「俺が全て母のことはやる。ウダウダ屁理屈で同情を誘うな。こんなところでそんな話をする必要などはない。俺が全てやるだけのこと。やってきたのが証明だ。そして、俺は今すぐお婆ちゃん達の髪を切ってあげたい。それが一番母の喜ぶことだから、その時間を1秒でも大切にしたい。俺らの家族の話を親戚の方に話すことではない。俺がやる。それで終わりでいいじゃないか。」

「俺はお前のことを認めてもいる。俺のできることはみんなの髪を切ること。そんな繋がりでいつまでもいたいだけだから。無駄にこんな場所で今後の背負いあう話しをして嫌われたくはない。みんなと仲良くいつまでもいたい。母は火のついた爆弾ではないんだ。兄貴のやれる事はまた違うこともあるだろう。それに尽くしてあげるべき。母がみんなに世話になっているのだから。
たまたま俺が髪を切れるだけの話。たまたま母を面倒見れる力があるだけの話。誰が上でも下でもない。ただ、今ある時間は母のために使いたい。
だから、俺らの間にある問題を話す意味はない。兄貴は口に出した事、30年前から何一つ変わってないけど、やれるだけの事を貫いてやり通して、大逆転してくれたら良いよ。可能性はあるのだろう。喜ばせてあげてよ。」

「仲よくやっていこうぜ。

握手をして笑い話に切り替えました。


このままの通りです。

兄貴にも正当な言い分もあるのでしょうが、僕はこの時間をお婆ちゃん達に使いたかった。

そして、少しでも押し付け合う感覚になるのだけはしたくなかった。

僕が全部やるから。


ここに書くのも全て

母も見ているでしょうから。

親父も見ているでしょうから。


僕は何も言わない子だったから、この機会に伝わるのを願う。




また、同じ境遇の方も見ているでしょうから。

これから考えるべき人たちもいるでしょうし、スタッフ、スタッフの親御さん。

いろんな方になにかの答えの一つとなれば良いかとは思う。

何かの背中を押す力になれば良いと思う。



ブログを通してではありますが、

断片的でもなく、僕の正当な気持ち。



信念を通すのは難しい。

負けても良いとは思う。


誰も文句を言わないよ。


でも、
やってみたら案外簡単な事なんです。

特に人の世話なんてのは気前一つでしかない。
他人であれ、子供であれ、親であれ。

気前一つです。




僕は母がお腹を痛めて産んでもらったのだから。

親は僕を大切に育ててくれたから今があるんだ。


僕はたまたま子供を作ることができなかったけど、同じだけの気持ちで人の世話をしたい。

また、そんな親になった経験のない僕には軽い言葉なのかもしれない。


何もわかってはいない。


ただ、母の面倒は僕がみる。

親戚の方も大切にする。

何かあれば何でもする。


恩返しはしきれていない。

それだけです。




20代のみんなに伝えたい。

必ず誰かは誰かの世話をしなくてはいけないんだからと。


若いうちから背負うのも良いものです。

自分の身を切る事をしてみるのはとても良い事です。

たかがの保険だろうと貯蓄だろうと支援だろうと、髪を切るだけだろうと、肩もみだけだろうと、

続けることで意味をなす。

40歳にもなれば証明ともなる。


もっとその先にはもっと形になっているだろう。

続けたものだけが誇れることもある。


だから親御さんも若い子供達に託すのも良いと思うんです。


過保護なんて論外で、もっと頼ること。


思っているよりも強いはずなんだから。


もっとお互いに強く厳しくやりあえている事が

本当の「楽」を手に入れられるものだと思うから。

母とお婆ちゃんの関係を見ていても感じました。

強さは素晴らしいと。



なんとなくで良いから、
伝わるといいと思って書きました。


そして、母はまだまだ生きていく。

身体が変になってしまうこともあるだろうけど。

僕が守り抜く。

子供の時から変わらない。




最後に、

母に伝えた言葉。

「自分の人生なんだから、もっと自分のことを大切にするような生き方をしなよ」


こんな言葉、息子が母に言うセリフではない。。


だけどね、

そんな母の姿を僕は嬉しいんです。

自分のために稼いで、自分の好きなことに使って欲しい。



そう思うと。

きっと母は、

いつまでもとんでもないバカ兄貴でも可愛くて、
文句を言いながら世話をするのが好きなんだろう。


だから僕は、そんな母のやりがいのような姿を認め続けてはいる。


そんな事も笑顔であるならばそれでいい。

みんなと笑顔になれるのならばそれを選ぶ。

ただそれだけです。




そして、長く書きましたが、

「母を守るのは子の役目」

その自覚と行動に対して僕は時間など必要なかった。

また、もっと大変な家庭もたくさんあるし、誰もが働けるだけマシという声もあると思う。

両親を亡くし、一人で育ったことが大変とも限らない。

家族があったからこそ迷惑をかけあったところもあるでしょうし、それはもう無限に様々で人様の話。

上も下もなく、張り合う話ではありません。

「自覚と行動」


このタイミングを知るための何かのヒントになればと思います(^^)

そして、頑張ってる方もたくさんいると思うから、自信を持って声を出しても良いと背中を押したい。



いつもありがとうございます!





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