喜早純也のアメブロ

恵比寿・代官山の美容室 belog chez vous
めちゃくちゃサロンへのこだわりがあります!
絶対にどこにも負けない美容室だと自信もって言える美容室であり
美容師をしています!


テーマ:
こんにちは!
今日も長くなります(^^;;


この記事
読まれた方も多いかと⬇︎



{4DF04924-C1E0-43CC-8757-05112E8950B2}



「体罰論」


どうでしょうか?


僕としてはこんな風に思う。
以前にも体罰論を書いていましたが、追伸がてらに長文ですσ^_^;


⬇︎

メデイアの視聴率要素を一旦全て省き、
それぞれが持つ社会においての理想形があるならば、その1つ1つの声が社会に届くような番組があると良いのになー

と思う。


芸能人のコメントと
一般人とでは違うし

傍観者と当事者では明らかに変わる。

体罰される側も
する側も

その親や周りの友達や近しい人、過去に経験した事や、現場を目撃した人とでは意見の濃さも様々になる。

体罰とはいえ、目線1つで

「あれは手を上げざるをえないよね」

という捉え方は大いにあるわけで、
関係性を見たら、そこに至るまでの長い歴史もあったりするからこそ
「殴られて当然」と判断されるのことだってあるんですよね。

「何を守るか?」

なんでしょうが。


とはいえ

それはルールや法律的にもダメとされているわけで。。

だけどルールだけに縛られて良いものなのか?



一概に「ケース」だけでは語れない難しい課題ですよね。

みんなで考えるべき問題なんです。


しかし、一番多いのは

「人のことは人のこと」

関心なんて無いに等しい出来事に思う
「無関係だから」な方が多いと思うのです。


それも含めて全部
感じ方は百人百色なんでしょう。

でも、
常につきまとっているんだという事も感じておかなくてはいけなくて

意見は1つではないからこそ

意見を出し合う場所がある方が良いと僕は思うのです。


○カ✖️かを決めるのが目的ではない。

意見を知る事が大事なんです。



その中の1つの意見として
こんなブログの中でも書いたりしているのですが。


例えば、

体罰が正義感からのものだと仮定し、ある一定の効果を得ていたとしたら


痛みってのは

身よりも「心に響く」ことですよね。


その痛みが

先の未来の糧になることが多分にある。



僕は体罰常習犯のような青春時代でしたから…

賛否もなにも偉そうに言える事でもないし

それをさせていた側の人間としては申し訳ない気持ちの方が強い。

しかし、体罰のせいでなにか悪い人格に形成された気はしないし、経験を得たというありがたさがいっぱいあります。

でもやっぱり
「申し訳なかったな」と思う気持ちが残っていますね。




体罰を受ける時ってのは
全て自分が悪いのを承知している。

少なくとも僕はそんなタイプです。


単純に、僕が体罰を受けるときは

周りの目に対してのパフォーマンスの末であったわけで。


授業中とか、みんなを笑わしたいからふざけていた➡︎めちゃくちゃ怒られる

オシャレとかカッコつけていたいから好き放題していた➡︎めちゃくちゃ怒られる


そういうリスクをわかっていても目立ちたくてやっていたからそちらを選んでいた。


ただのカッコつけなんです。



そういうのがバカバカしい子や
苦手な子だってたくさんいる。


「反発してまでやりたく無い。」

そう思うのが普通だから、僕みたいな人は目立つわけです。

もちろん、常識があるからこそやらないわけだし、先生に対する礼儀もあるだろう。
(僕はダラダラ系で怒られることは一切なかったが)

学校ではそんなことをしなくても
家ではめちゃくちゃな子だっている。


やっている事は同じ事です。




普通は体罰の対象になるわけがない。


どこかしらで舐めている
ふざけていても平気と思っている


そんな態度をするから叱られるんだ。

わかっていないなら諭すなりなんなりと教えてあげないといけない。


これ

どんな形であれ知らないとまずい。。

社会でいうマナーとルール」なんですよね。


調べるとこうである
⬇︎
{0D965AA8-D26C-4C43-AFC0-0020945A61DA}


ルールは知っての通り「規則」であります。


授業中ふざけているのはマナーやルール違反なんです。

不快に思わせていることが問題なんですし、
授業の妨げとなっていることは罪です。

しかし、騒いでいたとしても
それをわからせるまでに
すぐにビンタをされる事はない。

数回注意を受けているのにもかかわらず
聞こうとしないから殴られることになる。

それが指導の仕方の1つであるだけ。

先生が言っていることは一貫しているんです。

「キチンとルールを守れ」

と。


大人だけが正解ではないが
「『子供の方が正解だ』というのは間違っている」という考えは子供の時にはあまり無い。

100通りの答えの中で判断している大人がいるとしたら

子供の経験は限りなく少ないのと、自己中心的に考えがち。

たとえその少ない経験や知識の中での正解だとしても、経験をこなしてきた大人の正解とはまた重さが違うように思う。


やはり、経験値というのは大きな判断材料となる。

だから
意見の交わし合いが必要なんですよね。

それは大人としても
子供としても
先生としても

どの立場でも
意見は聞き入れた方が良い。

「正しさの主張というもの」を言い合ってみた方が良い。




体罰の話に戻りますが、


「無断で学校を休む。無断で部活を休む。」

これ体罰の対象でした。

めちゃくちゃ殴られましたね。


しかし、

「会社を無断で休む。」

これに体罰したらパワハラで訴えられます。

今の社会はそのルールを守らないと罰せられる。

いわゆる「法律(ルール)」なんです。


だから

先生も「体罰はマナー違反、ルール違反」ということの中で動いてるんでしょう。


だけど

会社を無断で休むとか

仮にもそんなのが許されることにでもなれば
会社のパワハラ以前に、消費者は怒りますよね?


予約を取っておいて
サロンに行ったら僕がいない。

お客様も、サロンのスタッフも困るわけです。


連絡なしとかありえないわけです。

しかもそれを平気で僕がしていたら?

みなさんからは信頼を失うでしょう。
予定とか入っていたら怒るでしょう。


「グアムとか南国の人はそんな感じだよ!」

では通じない。

その国その土地の常識ってのがある。

「相手を信じてる」

という、暗黙の世界がその風土と共にある。


そんな信頼の中

スケール次第では
数億円の損害になる事もある。



だけど、

バイトならば平気。

自分の立場なら平気だろう。


そういう感覚が若い子ほど多い。


全て違う物差しで見てるけど

「マナーやルール」という物差しに「立場や度合い」などは関係ない。

親にならば好きなことをしていいのか?

学校にならば好きなようにしていいのか?

会社にならば好きなようにしていいのか?

他人にならば好きなようにしていいのか?

自分が好きなようにしていてもいいのか?

もう嫌だと思ったらブロックするだけでいいのか?




相手と内容次第でマナーやルールはいつも崩壊する。

「自由」というのはとても大切だが
相手に迷惑をかける自由は許されるものではない。


でも、
これがどれだけ大切なことなのかわからない子が多いよね。


それって何なのか?


社会人になるまでに
マナーやルール違反に対しての責任や罪の重さを実感したことがないからなのではないか?


頭ではわかっているが
経験値として無い子が溢れている。


小さなマナーは守るが
ここって時の大事な時にはルールを思い切り破る。

そんな子が多いように思う。


それは、経営をしていて感じるのですが
自分の会社でも、お客様から聞く話でも

真面目でマナーがある子ほど
ルールを軽んじてるところがある。


ちょっとやんちゃな子ほど

マナー違反は少々あっても
ルールに対しては厳格だったりしている。


あくまで傾向ですが…


親も含めてそれを感じます。


「明日辞めます」「辞めるから明日で終わりにします」

という意見に対して

「あなたの好きなようにしなさい」

言って平気で送り出す親が多い。

ついこの間までは仲良くサロンを利用していたとしてもです。

子供が会社に迷惑をかけているであろうことを承知しだとしても

それを指導する側に回わらず

「あなたの好きなようにしなさい」


なぜか、責任を自分たち解決で終わる。



このケースはどこの会社でもよく聞くのではないでしょうか?


もちろん、そこにパワハラなり、嫌な思いをさせている実状があれば当然の選択ですが、、

ただ、思いつきで新しいことをしたくなったくらいで簡単に飛び出していく事は何度もありますし

親はそれをなぜか応援していることが多い。


逆にそれを自分の身の回りで起こされたらたまったものじゃ無いはずなのに…


もしも自分の親ならばそんな事はさせない。

というか、親に相談のレベルではなく

まずは会社との相談の話になるはずだ。

「いついつまでにどうするのか?」

そういう規則の話が中心となるものです。



これができない子の方が多い世の中なのは

「あなたの好きなようにしなさい」

「自分らしくありなさい!」

の言葉と同じだけの
マナーや、ルールの重要性などをきっちりと身につけさせていないところではないか?


それによって

「人と人との関係性や信頼の大切さ」

それを失うことが問題ではなく

もっとシンプルに、
迷惑だったり、傷つけていることが問題だという認識。

社会性においてのモラルの欠如。



今後はもっと広がっていくのではないかな。


もちろん会社側も体制を考えねばならない。

※僕たちは全て相手の言いなりにしかやりません。お客様を触る上で、お客様を思わないようならばさっさといなくなってもらいたいからです。
だから縛り付ける事は一切しない。説得もない。
「あなたの好きにしなさい」の典型的サロンです。
会社で諭す事は必要範囲でしますが、僕は美容という場所は聖地だと思い、人の髪を触ることの責任は会社という組織云々よりももっと高貴なものとして捉えているのでそう判断しています。



だけど不本意ですよね。。

そういう責任感とかマナーやルールを身につけさせるのが会社でやっていいのならば徹底指導しますが、それをしたらパワハラや自由の剥奪なんでしょう。もちろん、優しく伝えては行くのですが。。

そうなる前にもっとみんなで考えておかないと…。


誰もが簡単に信頼を無くし合う時代になった時、
人を信じる力さえも衰える。


それでいいのか?


僕は体罰1つでもそんなことを学ぶ要素が多く含まれているように思えてならない。


やってはいけない事に対しきっちりと叱り導く人がいなくなっていくような社会のモラルやルールが今の時代風になり続けたら、
自分たちの一番大切な「信頼」というものを無くしていくのではないか?


体罰の暴力面はさておき(してはいけない)

そういった指導力を無くすということは

何でも好きなようにしていいんだと勘違いしてしまうものなんです。


ダウンタウンの松本さんの話にもあったように
⬇︎

{B8AE22D4-43FA-4686-82FA-E43A3FFE899D}





僕も同じようなことを以前ブログで書いてましたが



{C7C75C8B-EB8B-44D1-9C73-78EE24CDD986}





自分達がそんな時代の中で生きてきたことで変な人格になっている気はしない。

むしろ今の子たちを変だと感じるくらいだ。



僕は偶然にも松本さんとお風呂を共にした日がありました。

10年くらい前です。

偶然居合わせただけですが、すごいオーラで周りの人はそそくさと出て行きましたが、

相変わらず僕だけは平気でしたので、せっかくなので湯船でほんの少しトークを絡み合ったんです。

その時にはいろんなことを感じました。

今もし見かけたとしたら
もっとマイルドになっている気がします。

テレビまでもそんな風に言われてますしね。

変わっていくんだろうなと。


僕もそうでしたが
マナー悪い人って身勝手なんですよね。

大きな声で喋るし
好き勝手で人の目を気にしない。

授業中に騒いでるのの延長です。


そこでどれだけ迷惑をかけているかなんて考えたこともなかった。

だけど今なら思う。

僕が騒いでいたことで、誰かには未来のための勉強の邪魔をさせ、その結果テストの点数が悪く志望校に行けなかったかもしれない。

こういうことだって
ありえると思った方が良いと思っています。


一人のマナー違反で全体が悪く思われることもあります。

それは国単位でもそう。

オリンピックなどはかなり厳しく指導しているみたいだしね。


大人も子供も同じくです。

平気で電話禁止のところで電話をしているのもそれ。

スピード違反もそれ。

これは全てルールやマナーです。




ということはどういうことなんだろうか?


体罰は何を教えようとしていたのか?

本質的な理由をどれだけ教えられているんだろうか?



無難にお利口にやっていても
先ほどのように
ここって時には思い切りルール破る子もいる。

親も含めてです。


だとしたら

若き頃に
善悪の区別がつくような指導をしっかり受けている方が社会においては信頼を獲得できるのではないかな。


どこで何のために生きていくための学生時代なのか?



社会で生きていくとは

皆が平和になるようなマナーやルールを守り他人に迷惑ではない。その範囲を「自由」とし、そこから楽しさを自ら獲得しさらには周りにも幸を与える。
それを誇りに思いながら歩んでいく。
そして、その姿を背中を後世に伝えていくこと。


それが本当のユートピアであり

目指す場所だと思う。


単に
「体罰反対」では何の解決でもなく

叱るべき時に叱れない社会の空気では
今後、全てのモラルが崩壊し伝染していくのではないかな。


親が言う

「あなたの人生、あなたの好きなようにしなさい」

これ、もっともな声に聞こえるが

最も無責任な言葉です。


強く生きて欲しいと願うわりには、強く生きるための試練からは遠ざけることを選んでいる


結局のところ、
一番弱いのは僕たち大人なんじゃないかな。
僕もルールを破る子は手放しますし…

本当は社会にでるまでにそこを学ばせておくべきなんだよね。

強く生きて欲しいのならば…




だから僕は学校での講演でそのことを強く伝えてきました。

なんだかんだと会社でも最低限のマナーは指導してます。



そして、情けない事に僕はマナーが無かったから。

18歳ぐらいから必死でマナー本を読み
不快な思いをさせないように学んできました。

最近だと、
ダイビングで厳しいところに行ったのもそれ。

ダイバーとしての心得を身につけておきたい。

ゴルフをやるにあたってマナーの本を熟読したのもそれ。

交通ルールはめちゃくちゃ安全運転しているつもりです。

「人が嫌がることを知っておきたい。」

そう思うから勉強をしています。



だけど、こんなタイプの大人には遠ざかる若い子が多いとは思います。

「うるさい」わけですよね。


んでも

僕は過去にマナー違反野郎でしたから
両者の気持ちがわかっているつもり。


「経験」と言うと犠牲になった方には身勝手ですが、、

おかげでキチンとルールを守るようになっているからか「信頼」を得ている気はする。

少なくとも社会人として仕事を放棄した事はない。


だからこそ、若い時に身につけさせた方が良いし

何なら僕のように
中学くらいからバイトさせるような事をした方が良い。

盛り付けが遅いだけで
料理長にオタマでぶん殴られてましたからね(笑)


もっと厳しくして、「社会に出たら楽勝」だと思えるような学生時代を過ごしていたら?

そんな簡単なことが身についているだけで
今の世の中ならばイージーゲームにしか見えないはず。


社会でうまくやるとか
稼ぐとか
何の仕事とか

色んな不安あるならば是非、

マナーとルールを徹底的に叩き込むことをオススメします。

そして、やんちゃな子ほど
「わかってやっている」はずです。

そこでワガママを通せる感覚を身につけさせないで

ギャフンと言わせられる感覚を身につけさせましょう。


強く生きてもらうためにも、若い時に試練を与え痛い目合わせるのがいい。

それは社会に出てからでは遅い。
迷惑が大きすぎる。


そんな僕の考えは
古くて嫌われると思うけど

僕はそんな人を本物だろうなと信頼してしまう。


自ら厳しく生きている人は
最後の大切な時には自分で背負える力がある。

結果、人に優しい人となっている。

そんな子に育って欲しいと望むならば
社会にでるまでの時間

めちゃくちゃしごき、
「早く社会に出て自由になりたい!!」

と思わせるくらいの方が

社会では余裕でわたりあるけたりする。

そんな甘い世の中だから。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

初めての方にはぜひご覧いただきたい記事!!↓

http://kisou.hair-belog.com/0blog/sinkitop1.html 

 

 |  リブログ(0)

喜早 純也さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります