そもそも、ハルの執着の理由さえ観客に示されていないのに、なぜハルはここまでの行動をとるのか。
観客は混乱してしまいます。

これも、物語前半部分で「ハルは祖母や翔の前では真面目に働くが、2人が見ていない所ではお茶菓子をつまんだり掃除を手抜きしたりする」
といったダメ家政婦さを表すシーンを入れておけば、すんなり受け入れることができたはずなのです。
翔も祖母も気づかない中、観客だけがハルの本性を知っている。そういう描き方をするだけで、アリエッティのお母さん救出の一連の場面はよりドラマティックになったはずです。

次に翔の描かれ方。

翔はアリエッティたち小人の唯一の理解者です。ですから、その立ち位置は常にブレないことが必要だと思われます。
そこで

1.ドールハウスの台所のプレゼントの仕方

2.絶滅~のセリフ

3.アリエッティ母救出時のハルへの接し方

が気になりました。

ドールハウスの台所についてですが、あれをアリエッティたちの家に設置する際、なぜ翔は無言かつ荒っぽいのか。
監督が小人視点からのパニックを描きたかったから故のあの演出なのでしょうが、
翔が小人のことを思う優しい少年なら突然壁を引き剥がす前に

「こんにちは、今日はプレゼントを持ってきました」

ぐらいの何かしらセリフをいれて、それから行動に移すのが常識的な発想のはずです。
それならば、突然天から降ってきた声にアリエッティのお母さんが事態を理解できずに呆然としていると、急に天井が外されてパニックになる、という自然な流れになるのです。
さらに演出について付け加えるなら、翔が家をリフォームする際に両手をそえながら出来るだけ丁寧にしていれば、その次見つけたハルの無遠慮な乱暴さが際立ちます。
見つかった時点でパニック必至の大事件なのですから、過剰な破壊描写は完全な蛇足なのです。
まぁ、床下の開けたらすぐ見つかる位置に家を構えさせる設定段階での無計画さ、という時点ですでにすべてが台無しですが。


そして、絶滅うんぬんのセリフに関しては宮崎駿の脚本段階で用意されていなかったのを監督がつけ加えたらしいという話があります。

アリエッティが台所の件で一言物申しにきたのに、それに返す言葉があれでは翔の人格を疑わざるを得ません。(つづく)
最初に、ネタバレ含みます。

アリエッティ観てきました。
一応全体的には話もまとまっていて、ゲド戦記よりは溜飲が下がる出来。
しかし、寧ろその「ゲドよりはマシ」というハードルの下がり方が問題だと思えます。

ゲドに対してアリエッティは作画のクオリティ、コンテの出来、レイアウト等も数段上。
まぁ、ドシロウト監督とアニメーター上がり監督との差なので当然なんでしょうが。

でも、やっぱり今回も脚本が力不足過ぎます。
宮崎駿は脚本の前半はちゃんと書いたが後半は麻呂がやりやすいようにカッチリ仕上げなかったという話。
それが完全に裏目に出てます。

細々したところもありますが、特に目についた点についていくつか挙げてみます。

まず、家政婦ハルの描かれ方。
今作でのハルは、翔・祖母・ハルといる3人の人間の中で、小人と敵対する唯一の人間という立ち位置です。
そのため、劇中では徹底的に悪者として描かれています。
それはいいんです。 ただ、その役割が物語後半から唐突に始まるのがいただけない。
それまではただのがさつな家政婦として描かれていたハルが小人の存在を疑いだした途端、目に狂気をはらんだマッドサイエンティストさながらの狂人に変貌するのです。

ハルを悪役にすることは脚本の大枠が作られたうちに決まっていたはず。
それならば、そこへ至るまでのハルの描き方に伏線が張られることが必要不可欠です。

具体的に言えば、

1.ハルは小人を恨んでいる

2.ハルは家政婦だが雇い主の一家に敬意を持っていない

この2点は必ず匂わせる場面を作るべきでした。
雇い主の奥様が
「ドールハウスはいつか小人へのプレゼントに」
と先代からの小人にまつわるロマンチックな関係を話していたのに、ハルが小人を駆除しようと躍起になるのは観客にはいまいち解せません。
祖母があの話をしているときに

「でも奥様、家の物が少しずつ盗まれているんですよ?私は小人にそこまで寛大な好意は抱けません」

ぐらいの否定的なセリフを一つでも挟んでいれば、観客はすんなりとあの展開を受け入れたはずですし、「ハルに見つかったらアリエッティたちが危険だ!」とドキドキしながら物語の展開を楽しめたはずです。

そして、給金をもらって働く一家政婦が お坊っちゃまの部屋に鍵をかけて閉じ込める、などという行為も観客の理解を超えています。
そもそも、(つづく)