日本の五輪の歴史(5) | 俳句の里だより2

俳句の里だより2

俳句の里に生まれ育った正岡子規と水野広徳を愛する私のひとりごと

夏季大会(5)

 

ここでは日本の五輪(夏季、冬季)参加の歴史を紹介しており、まずは夏季大会の歴史について、前回に続き紹介する。前回は、日本で初めて開催された1964年の第18回東京大会を紹介したが、今回は1976年の第21回モントリオール大会(カナダ)と1984年の第23回ロサンゼルス大会(米国)を紹介する。なお、1980年の第22回モスクワ大会(ソ連)は、ソ連軍のアフガン侵攻に対する制裁措置として、米国(カーター大統領)がモスクワ五輪をボイコットしたため、日本(JOC:日本オリンピック委員会)もそれに従いボイコットした(不参加)。金メダル確実とされていたレスリングの高田裕司や柔道の山下泰裕が、JOCに行かせてほしいと涙ながらに訴えた姿がテレビ中継されたが、多くの国民に強く印象を与えた。

 

〇1976年の第21回モントリオール大会には、日本から213人の選手(男子152人、女子61人)が、陸上、水泳(競泳、飛込)、ボート、ボクシング、バレーボール、体操、バスケットボール、レスリング、セーリング、ウェイトリフティング、ハンドボール、自転車競技、馬術、フェンシング、柔道、射撃(ライフル、クレー)、近代五種、アーチェリーの18種目に参加し、日本のメダル総計は金9、銀6、銅10の計25個だった。金メダル数は世界5位、総メダル数は世界第7位だった。なお、この大会では、体操女子でルーマニアのナディア・コマネチが10点満点を連発、日本でも大人気となった。

 

金メダルは、体操(平行棒)の加藤沢男、同(鉄棒)の塚原光男、同(団体総合)、レスリング(フリー・52Kg級)の高田裕司、同(フリー・74Kg級)の伊達治一郎、柔道(中量級)の園田勇、同(軽重量級)の二宮和弘、同(無差別級)の上村春樹、バレーボール女子(横山樹理ら12人)(計9個;体操3個、レスリング2個、柔道3個、バレーボール1個)である。

 

銀メダルは、体操(個人総合)の加藤沢男、同(あん馬)、同(鉄棒)の監物永三、同(跳馬)の塚原光男、柔道(軽中量級)の蔵本孝二、アーチェリーの道永宏の計6個、銅メダルは、体操(個人総合)、同(平行棒)の塚原光男、同(跳馬)の梶山広司、レスリング(フリー・48Kg級)の工藤章、同(フリー・57Kg級)の荒井政雄、同(フリー・68Kg級)の菅原弥三郎、同(グレコ・52Kg級)の平山紘一郎、ウェイトリフティング(バンタム級)の安藤謙吉、同(フェザー級)の平井一正、柔道(重量級)の遠藤純男の計10個である。

 

今大会でも体操の団体総合はローマ大会から5連覇を果たしたが、3連覇していた個人総合は加藤沢男が3連覇を逃し、4連覇を逃した。レスリングや柔道は引き続き活躍したが、陸上、水泳(競泳)は残念ながらメダルを逃した。また、バレーボール女子は金メダルを奪回したが、男子はメダルを逃した。

 

〇1984年の第23回ロサンゼルス大会には、日本から231人の選手(男子178人、女子53人)が、陸上、水泳(競泳、飛込、シンクロ、水球)、テニス、ボート、ボクシング、バレーボール、体操(体操、新体操)、レスリング、セーリング、ウェイトリフティング、ハンドボール、自転車競技、馬術、フェンシング、柔道、射撃(ライフル、クレー)、近代五種、カヌー、アーチェリー、野球の20種目に参加し、日本のメダル総計は金10、銀8、銅14の計32個だった(金メダル数は世界6位、総メダル数は世界5位)。なお、シンクロと新体操が新種目に加わり、テニスと野球が公開競技となった。

 

また、前回モスクワ大会で米国や日本など西側諸国がボイコットしたことの報復に、ソ連や東ドイツなどがこの大会をボイコットした。さらに、この大会ではテレビ放映料やスポンサー協賛金、記念グッズなどで巨額の収入を得ることに成功したため、これ以降五輪が商業主義に走るきっかけとなった。

 

金メダルは、体操(個人総合)、同(つり輪)の具志堅幸司、同(鉄棒)の森末慎二、レスリング(フリー・57Kg級)の富山英明、同(グレコ・52Kg級)の宮原厚次、柔道(60Kg級)の細川伸二、同(65Kg級)の松岡義之、同(95Kg超級)の斎藤仁、同(無差別級)の山下泰裕、射撃(ライフル)の蒲池猛夫(計9個;体操3個、レスリング2個、柔道4個、射撃1個)である。

 

銀メダルは、体操(跳馬)の具志堅幸司、同(跳馬)の森末慎二、同(平行棒)の梶谷信之、レスリング(フリー・48Kg級)の入江隆、同(フリー・62Kg級)の赤石光生、同(フリー・82Kg級)の長島偉之、同(フリー・90Kg級)の太田章、同(グレコ・57Kg級)の江藤正基の計8個、銅メダルは、水泳(シンクロ)の元好三和子(ソロ)、元好三和子・木村さえ子(デュエット)、体操(鉄棒)の具志堅幸司、同(床)の外村康二、同(団体総合)、レスリング(フリー・52Kg級)の高田裕司、同(グレコ・48Kg級)の斎藤育造、ウェイトリフティング(52Kg級)の真鍋和人、同(56Kg級)の小高正宏、同(82.5Kg級)の砂岡良治、柔道(86Kg級)の野瀬清喜、バレーボール女子(中田久美ら12人)、自転車の坂本勉、アーチェリーの山本博の計14個である。

 

今回会で体操の団体総合は金メダルを逃しローマ大会からの6連覇は断たれたが、前回大会で逃した個人総合は再び具志堅幸司が制した。レスリングや柔道は引き続き活躍したが、中でもボイコットにより前回のモスクワ大会に出場できなかった柔道無差別級の山下泰裕は、2回戦で右足を痛め厳しい闘いを迫られたが、見事金メダルに輝いた。金メダルが決まった瞬間、山下は畳に両手を力強く突いて立ち上がり、涙でくしゃくしゃになった表情を隠そうともせずに喜びを表現した。決勝の相手エジプトのラシュワンは、山下の痛めた右足を狙わなかったとされ、人々にフェアプレーの精神を称えられたが、後日山下はそれを否定している。水泳は、競泳は残念ながらメダルを逃したが、新種目のシンクロで見事銅メダルを獲得した。バレーボールは、女子は何とか銅メダルを獲得したが、男子はまたしてもメダルを逃した。