西瓜食ふ孫に曾孫に玄孫かな   依田久代

(すいかくう まごにひまごに やしゃごかな)

 

句集『紙風船』より

 

なんと幸せな姿なのでしょうか。

こうして、家族に恵まれ、多くの子孫を残し、

今、共に西瓜を頂いているとは、

俳句に詠みあげたお気持ちは良くわかります。

 

ご自身は、まだ、それほどの年齢ではいらっしゃらないので、

どなたかをご覧になった景色だったのでしょう。

御親族の姿だということも、十分考えられます。

 

ちょうど西瓜の季節、盂蘭盆に親族が集まり、

お墓参りを終えて、ゆっくりされているのかもしれません。

良く冷えた西瓜が、大皿に盛られて運ばれてきました。

歓喜して手を伸ばし、皆、嬉しそうに頂いています。

その顔ぶれを見渡すと、孫、曾孫、玄孫、勢ぞろいです。

 

同じ父と母から生まれた子供たちが、

今こうして、また、子供を連れて、親の許に帰っています。

末広がりの恵であり、当たり前のようで、そうではありません。

子供がなければ、次の世代はありませんし、

たとえ子だくさんでも、親を忘れてしまったなら、集うことも無いでしょう。

また、自身が長寿を得たればこそ、今があるというものです。

 

実におめでたい俳句です。

縁起物のように、大切にしたい一句です。

家族の平安を願い、また、この時を感謝して、

俳句に留められた風景は、幸福の象徴のようです。

 

感謝する心は、幸せの源。

家族を支え、常に家族の幸せを願ってきた、

母の思いが込められた俳句の数々は、

句集『紙風船』に詰まっています。

 

本句集の表紙は、著者のお孫さんが、幼い頃に描いた絵だそうです。

お孫さんも大人になって、自分がどれほど家族に愛されていたか、

大切に、大切に育てられてきたか、これだけでも判ることでしょう。

それが大切なことです。

今、幼くて西瓜を食べている無邪気な子供たちは、

この一句とともに、自分を大切に生きることを学ぶに違いありません。

幸せの連鎖を願わずにいられない、あやかりたいと思う一句です。

 

 

 

カノン