あぢさゐの花より大き母の声   太平栄子

 

句集『芽生え』より。

 

あとがきに、こうあります。

 

終戦の年、耳の遠い祖母に母が大きな声で話しかけてをり、

庭の紫陽花を見ていた時、ふっと浮かんだ五七五。

 

その後の俳句人生をスタートさせた

記念すべき一句となりました。

 

このような俗っぽい句は、川柳だと思われたそうです。

が、詩心があって、個性的な俳句になっていると思います。

いかがでしょうか。

 

今年の紫陽花も、立派な花を見せてくれています。

迫力ある大倫の紫陽花を近くで見ていると、

人間のようで、何かを訴えてきている気がします。

その子供の顔ほどもある紫陽花の奥から、

祖母へ話しかける母の声がしてきたのかもしれません。

「紫陽花の花より大き」

それは、その迫力ある紫陽花よりも

強く響いてきたということかもしれません。

今年の紫陽花を見ていて、私は、ふとそう思いました。

 

俳句に留めた風景は、決して忘れることはありません。

俳句を読み返すと、昨日のことのように思い出すものです。

作者も祖母の齢となられ、同じようにお耳が遠くなってしまわれたでしょうが、

俳句と共に、今も、鮮明に記憶にとどめておられることでしょう。

素敵なことではないでしょうか。

 

終戦の年、昭和二十年、

しかし、紫陽花の季節は、まだ、戦火にありました。

大切な青春を暗く彩った戦争に

紫陽花の花は、色濃く、幸いなひと時を

写し取っているのではないでしょうか。

 

「私の句は、地味だから」とおっしゃっていたことを思い出します。

どうか、お元気にお過ごしになられますように、

お祈り申し上げます。

 

 

 

カノン