今年の秋は駆け足で進んで行く・・・夏が猛暑であると冬は厳しい寒さになると言われていますが、
今年もそのパターンなのでしょうか。もっとじっくりと秋を楽しみたいのに、年ごとに秋の期間が短くなって
行くような気がします。秋の夜道でうるさいほど鳴いていた虫たちの声ももうか細くなって来ました───
こんにちは、本日の季語は「虫の声」・・・秋の季語で「虫」のサブ的な季語です。
虫・・・もちろん、ハエや蚊また嫌われモノのGサンのような虫のことではありません(笑)
虫だから昆虫でしょ?とばかりに蜘蛛や蝶々さん、またムカデさんや毛虫でもありません。
俳句で「虫」といえば、秋に草むらで”鳴く”虫たちを指します。わりと限定的な季語だよね。
「花」といえば桜で春を表し、「月」なら秋の季語になるように・・・
ちなみに、「蟋蟀(こおろぎ)」「鈴虫」「松虫」など個々の名でも季語になっています。
虫の声が幾重にも幾重にも重なって、シャワーのように地に降り注ぎにぎやかな様子を表すのが
「虫時雨」(むししぐれ)また「虫集く」(むしすだく)、暗闇の中で虫の声だけが聞こえるのが「虫の闇」
※2015.09.21 虫しぐれ ( ^ー゜)σ 天上に浮かぶ心地ぞ虫しぐれ
※※2014.09.19 虫の闇 ( ^ー゜)σ 迷ふても歩き続けよ虫の闇
また、鳴き声を音楽のように楽しむのが「虫の音」(むしのね)、秋も深まるともう最後の命とばかりに
昼間でも鳴き出しはじめる「昼の虫」などなど・・・
この項目は過去記事から再掲載します。 (↓ココから)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
こうした虫たちの鳴き声や小川のせせらぎ・波の音などの自然音を美しく、心地よいと感じる
のは日本人特有の感性であり、脳の働きであるようですね。(ポリネシア人も同じだそうです)
虫の音を、機械音や雑音と同じく音楽脳で処理する民族が殆どなのですが、日本人はそれを
言語脳で処理するからだそうです。虫の鳴き声を「音」ではなく「声」として聞く
のですって。だから言語と同様に左脳で聞き受け止めているみたい・・・
これは日本語を母国語として聞いていると自然とそうなるそうです。自然に寄り添い恩恵を受け
ともに暮らして来た民族だからこそ、存在する全ての自然音を何らかの言葉・メッセージとして
捉えて聞いて来たのではないかしら? これってとても大切な事だと思うけれど・・・
そう、自然の声に耳をすますという事は・・・ (←ココまで)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
多分あなたもそうだと思うけど、私はこうした日本人の独自の感性を失いたくないし、そうした感性を
培った日本語も失われたくないと思います。言語、特に母国語というのはアイデンティティの基盤を
成すものだからね。よその国の言語に敬意を払いつつも母国語を尊重する姿勢を失いたくないよね。
夜道を歩きながら虫の音に耳をすませていると、ときどき方向感覚が失われてしまいそうな気分さえ
してしまいます。いやホント、宙に浮いているような非現実的な気分になったりもします───
だって、ピンポイント的に何処の場所で鳴いているか、さっぱり分からないんですもん。
右、左、前、後ろ・・・何処から聞こえるのかも見当がつかないの。頭の上や地中深くからさえも
聞こえるような気がしてしまうんだよね、特に目をつぶりじっと彼らの声に耳をすませていると、
この世ならぬ場所に迷い込んでしまって、もう抜け出せないような───
───もちろん、現実ではそんなことはありません。
再び目を開ければそこはいつもの帰り道、現実そのものの世界に立ち戻り、私は家路につくのです。
秋の深まる中、そこかしこでは色づく木の実を見る楽しさも増えました。真っ赤なピラカンサの実は
秋のフィナーレを飾ってくれることでしょう。その他の紅葉や黄葉も楽しみだし───
取り敢えずは今日は無事に終わりそうかな、明日も元気に目が覚めて無事に一日過ごせますように。
───地には平和を。
季節になれば花が咲き、季節になればススキが茂り虫の声がすこやかに聞こえるような・・・
そんな豊かな日々が送れますように、と祈りつつ今日は終りにしましょう。またね♪