浦賀船渠(うらがせんきょ)は横須賀市浦賀地区にあった造船所で、通称 「浦賀ドック」 と呼ばれておりました。
浦賀ドックは1897年(明治30年)に日本で最初のドライドックとして誕生し、艦船や日本丸・海王丸などの大型帆船、貨物船、タンカーなど1,000隻以上の船を建造してきました。自分が大好きな青函連絡船を造ったのもこの造船所だそうです。ちょっと嬉しいな。
住友重機械工業(株)浦賀工場として操業していましたが、 開国150周年を迎えた2003年3月に浦賀からの撤退が決定され、浦賀ドックの歴史は幕を下ろしましたが、現在も一部が当時のままの状態で残されているとの話を聞き、さっそく見物に行ってきました。
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「昭和20年6月」のプレートが見えます。65年も前に設置されたクレーンかしらん? サビ具合がいい味出してました。
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既に役目を終えた1号ドックですが、まだそのままの状態で残っております。敷地内には入れませんが、敷地境界の塀から中を覗くことができます。
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船体を載せる台座も当時のまんま残されております。
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↓最初何だかわからなかったのですが、どうやら大型クレーンの上部アームみたい。取り外されて地面に置かれているみたいです。
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↓アームが取り外された状態の大型クレーン。大きな墓標みたいで、何か物寂しいです。
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住友重機工業が所有し、その敷地内にあるため、普通は一般公開されておりませんが、周囲の塀が比較的低いため、ちょっと背伸びをすれば簡単に敷地内を見ることができます。
産業遺産として整備し、広く一般公開して欲しいなぁ・・・と感じた一日でした。
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