寄り添い、循環する世界を目指して。「Stand by me Company」

寄り添い、循環する世界を目指して。「Stand by me Company」

本当に頑張ってるのに、何か「見えない力」に邪魔されているような…そんな「生きづらさ」から脱していこう。「自信」を味方につけ、本来の「美しさ」をより輝かせていこう。愛と豊かさで満たされますように。

「自分がなぜ、こんなに、
苦しまなくてはならないのか、わからない」

理由がわからない不安や悲しみ
いや、
それさえも感じたくないと
感情を無くしてしまった時

気づく。

「本当の私は、どこへ行ってしまった?」


そして今、あなたがこれを読んでいるという事は
「自分をなんとかしたい」
「諦めたくない」
「1人では、もう無理だ」
と、感じたからなんだと思います。


そう思った時には、
もう「一歩」が進んでる。

大丈夫。
歩き始めてますよ。

もし

あなたの隣の家の人が

お互いの価値観が違うからと

自分に必要な物を独り占めするためだからと

家族を殺しに来たら

あなたに憎しみと悲しみ以外の

何が残るだろう



戦争はそれと何が違うのだろうか



今日だけでない

普段のニュース、身近な話題でも

考えてしまう時がある



平成から令和に代わる時

「天皇は象徴である」という意味を

噛み締めた覚えがある。


この国のトップに立つ人は

家族である国民、いや世界の人々の心の痛みに向き合い寄り添い続けながら

平和を祈る


日本は今、そういう国だ

あの時、日本人に生まれた事を

心から誇らしく

嬉しく思った。





「ありがとう」「ごめんね」

相手の気持ちを思いやり

理解し合う事は

子どもの私たちでも、出来ることです。


平和記念式典の中で

子ども代表が語りました。


毎年、この子ども代表の言葉に

胸が熱くなる

あの式典の中継は

毎年、学校、職場、家どこでも

必ず全員で見られるようにしたらいいんじゃないかとさえ思っている。



戦争のことを後世に伝えていくのは

未来のために真に大切だと思う

「今が良ければ」という、その「今」も

その犠牲があってこそのものだと

ただ知るだけでもいい





潰し合い奪い合いの世界は

弱さを認めない


理解し成長していく世界には

弱さも情けなさも全て認めていける力がある


本当に強いのは

どっちだろう



鏡の中にいる私が喜ぶのは

どんな世界だろう

あなたと

あなたの大切な人の未来

どんな場所にいて

どんな表情をしていますか



もう一度思い起こして

青く澄んだ空に手を合わせる時間を

深く感じてみる







越前大野の縁側こと、
パッション(中村)さんのお宅に久しぶりにお邪魔してきました。



お庭の草刈りを手伝いに行ったのに、
つい自分の不安をしゃべり倒してしまった。
「わかってもらいたい」と
必死なんだな、私(笑)
(パッションさん、お付き合いありがとうございます)



喋り倒す私を前に、
大野の名水で淹れたアイスコーヒーをコップに注ぎながらパッションさん。
「手放せば?」



わーぉ、これもかぁ〜〜⁈
ここ最近、
「え、それ、つい先日掴んだものだけど…」
というものさえも
「手放したら?」と問われる事が増えた気がしている。






「てばなす」って、よく言う

その思い、こだわり、凝り固まって、自分を留めてしまうものに対して
「手ばなそうよ」と使う。




手離す?手放す?




「離す」は、本来持っているものを離す。
「放す」は、所有しているものを放す。




そうすると
私の思う意味では「手放す」だ。
時々「手離そう」としてしまうなぁ、と
この漢字の違いを調べて気づいた。




迷い続けていると
「え?こんな事まで、
自分を掴んでしまっていたの?」と
それまで正しいと思っていた事が
その価値を180度変えてしまう事がある。



そんな時は大概
「これだ!って、信じていたのに…」と
愕然とする。



ただ、愕然とはするんだけれど、

手放すイメージを持った時
身体や心が軽くなる感じがしたら
それは手放して良くて


大概の事は、自分を軽くしてくれる。



そしてそれは
自分の「掴み癖」も教えてくれる。
掴み癖…なかなか時間をかけて手放し中だ。



掴み癖ね。



掴み癖の強い私といえば

手放す、というと
捨てるイメージがついていて
「捨てるにはなぁ…」と思うと
なかなか手放せなくなるというのがオチ
(断捨離下手↑)

まさに、貧乏性なのだ。



「思い」に貧乏症がかかっている。
これはいけない
ここに気前の良さがないと
循環していかない気がしてきたぞ。



手始めに手放す作業を試みてみよう



留まった「思い」は
捨てるというよりは
四次元ポケットの中に浮かせればいいのかも、と思えば気が楽だ。
それなら得意である。


「思い」は
保留、取り置きし放題が、可能じゃないか!

↑貧乏性が残ってるじゃないか、と思いつつ
そう「手始め」ですから
出来ることから。



掌をふっと開ければいい
それだけだ
「放つ」





これは八ヶ岳の中にあるカフェです。森の中に、あるんです。



まぁ、
時にはちゃんとそれらをひとつひとつ胸に抱いて
「ときめく」かどうか確認して
整理する必要もあるんだろう


でないと、ドラえもんのように
「今あれが必要!」って時に、
四次元ポケットを慌ててひっくり返して
突っ散らかすことになりそうだ。
(↑残念ながら、これも大得意)






朝からブリ大根を作りながら、

ラジオから流れる

福井出身の恐竜学者・小林快次さんの講義を聞いていた。



恐竜が好きな子ども達が、大好きな恐竜の話に目を輝かせて聞くその最後に、

小林さんはこう言った。





恐竜が絶滅するためにかかった時間より、

現代、絶滅していく動物の種類と

そのスピードは

よっぽど多くて、早いんだよ

と。




億単位で地球の歴史を見るその人の言葉に

グッと胸が痛くなった。





最近、信じられないようなニュースが多すぎると、感じていたからだ。





水が汚れたら、蒸留してミネラルを足してミネラルウオーターを作ればいいよね

安全なお肉が無くなったら、クローン技術で作ればいいよね

綺麗なお花や必要な植物だけ、タネを管理してビニールハウスで栽培すればいいよね

雑草なんて汚いし要らないね

虫は嫌いだから、いなくていいよね

菌なんてとんでもない

醜いのはダメだから、作り変えればいいよね

老いるのも嫌だから、若返ればいいよね

地球がダメになったら、宇宙にコロニーを作って移住すれば良いよね

ヒトに出来ない事なんてないんだから




銀河鉄道999の世界が、いつか本当に来るのかもしれないなぁ

そうやって、宇宙人て

生まれていくのかもしれないなぁ

(究極の若作りが、グレー宇宙人の形だったりして)







ただ

住む環境を大切にする事は

自分を大切にする事と同じだ


今、この地球を大切に出来ない人間が

宇宙に行って

宇宙を大切にするだろうか。










人ってすごい。

掃除ができるんだよ

使ったものを

元に戻す事もできる

そこにあるものを、

そこにあるよりもっと

素晴らしいものに変える事もできる


たとえそれが生きていなくても

愛して思いやることができる


命やエネルギーの循環を

大きいものも

小さいものも

高いものも

低いものも

広い目線で見て

感じることができる


大切な命を

抱きしめることができる

(人以外でも)


この力を

私たちはなぜ与えられたんだろう






なんてことを

出来上がったブリ大根と

昨日掘ってきた大量の大根を前に

考えてみたりする

今日のこの一日。