こんにちは!

 

ダイアモンドスキンを育む

育肌(はぐはだ)セラピスト

 

 

古川幸子です。

 

 

 

 

 

今日から私 古川幸子を知って
いただくために、毎日1話ずつSTORYを
投稿していこうと思います。




(10話くらいで留めようと
思っています。)






ぜひ最後までお付き合い下さいませ。








1979年4月4日

桜満開の愛知県で3人きょうだいの
長女として
誕生しました。









父は「お父さんはMMKだったんだぞ。」
というちょっとお茶目で面白い人。


MMKってわかりますか?



もててもててこまるの略語です。




DAIGOより前にうちの父が取り入れてました。(笑)




 

確かになかなかのいい男(笑)





母は静岡県の田舎出で、8人きょうだいの末っ子
びっくりするくらい穏やかでおっとりした人。







2人は父の姉の紹介で知り合い、
(今でいうお見合いでしょうか?)
あっという間に意気投合、お付き合いが
すぐに始まったそうです。








母はよく言ってました。
「あの時お父さんと気が合っちゃったから
こうなっちゃったのよね~」





でもなんだかんだ嬉しそうで
幸せそうでした。






そんな2人の長女として生まれ、
父の両親も一緒だったので、5人家族。





そしてすぐに年子で弟が生まれたため、
あっという間に6人家族になりました。






母のおひざをよく取り合っていたとか。








母は公務員で働いていて、当時はまだ
育児休暇制度がなかったため、産休明けで
すぐに託児所に預けられました。






2か月もたたないくらいで職場復帰って。






母になると母の偉大さがよくわかります。









当然その時の記憶はほとんどないのですが、、、







「さっちゃんは水道の水をひねるだけでも
すぐに起きてしまう神経質な子だった。」
と母からよく聞かされていました。







保育園に朝早くから、夕方遅くまで
預けられていて、でもさみしかった
という記憶はありません。






それはお休みの日に必ず、父と母が
どこか遊ぶところへ連れていってくれた
からです。






近いところから、遠いところまで
沢山遊びに連れていってくれました。










保育園の記憶といえば、
遊んではいけない時間に、勝手に滑り台に
のぼり、階段から落ちて気絶しました。(!!)







当時の頭の傷のせいで、未だにおでこの
一部からは白髪しか生えてこないんです。
神経が死んでる。






うっすらと記憶があるのは、気づいたら
保育園の職員室かどこかのベッドの上でした。







その時の母の表情などは思い出せないの
ですが、娘を持つ母となって、どれほど
心配して、保育園に向かったことだろう
と胸が痛みます。








だって、「娘さんが滑り台から落ちて頭から血を
流して気絶してしまいました。」









なんて保育園から電話がかかってきたら、
生きた心地がしません、、、







保育園時代は、活発でやりたい
放題やっていたようです。








遊んではいけない時間に勝手にお外に
出て、滑り台の階段から落ちるなんて
けっこうなツワモノですよね。






当時N君K君という仲良しな男の子が
いました。








私はN君が好きだったのですが、3人で
よく遊んでました。





記憶があいまいですが、おそらく両親同士が
仲が良かったのだと思います。






保育園以外のお休みの日も遊んだ記憶が。










小学校に上がるときに、ばらばらになって
しまったのですが、なんとK君と劇的な形で
20数年後再会するのです。







このお話は旦那様とのなれそめを綴る
第7話でお話しします!!!







続きはまた明日第2話 小学生 寂しさあまり悪ガキへ
をお伝えします!




お楽しみに~!