回収されないもの
資本に回収されないもの。
これまで、資本主義に関する本をいくつか読んできました。
そして、何人もの思想家が資本主義について言及してきました。
最近では、思想家が東京及び地方都市近郊の郊外におけるショッピングモールについて論じています。
今日までの四日間百貨店での勤務をし、僕は様々なことを感じました。
エルメスやカルティエ、グッチなどのパリコレクションに名を連ねる有名ブランドが立ち並び
それぞれの店が合理的なプランで構成された人工地盤の上に連続しています。
ついつい消費者の目線に設計の趣旨が行きがちですが、僕はそうではなく販売者側の様々な談話を
耳にすることで今までとは違う新たなイメージを喚起しました。
販売者と購入者の二項では捕らえ切れない新しい構図がそこにはありました。
販売者はあくまでも常に消費者であるわけです、しかし販売者は仕事上では消費者にはなりません。
しかし、我々の日常生活は消費することによってのみ成立します。
あらゆる営業トークの中で重要視されることは、消費者の立場に立った思考にあります。
消費社会の先には、販売者と購入者といった図式はもはや意味を持たないのかもしれません。
そして、超消費社会的ともいえる百貨店の裏側では、独特の他者性が存在しています。
自らの主体性や私性がタロットカードのように並べられ、場所や時間そして他者との関係の中でセレクトされ消費されています。
そしてこの女性的な他者性は、これからの都市や文化を成立させるファクターとして機能するように感じました。
販売者でありながら消費者といった日常と非日常の運動には、新たな消費社会の求めるべく空間像が展開されていると感じました。
この運動がもたらす心地良さは、資本主義によって回収されない強度を持って
いつも僕たちの日常を支えていくと思います。
ではまた。