平家物語において最も有名な場面が、安徳天皇と二位の尼の入水。

耳なし芳一が亡霊の前で詠ったシーンも有名。

二位の尼は、当時八歳の安徳天皇と三種の神器を抱いて、船から海へ没したと一般には伝えられている。

しかし、こういうものは原文を読む必要がある。

この記事には平家物語の長門本を参照している。

原文は文語なので自分語にまとめてみた。

 

平家の運も尽きたと新中納言知盛は女房達の船に来て、「珍しき東男ども御覧に入れるぞ」と笑って言った。

女房達は「何の戯れか」と泣き、二位の尼は鈍色の二衣に袴のそばとりてはさみ(灰色の衣を二枚重ねに着、裾を上げて、とされる)、八歳の先帝を抱き、自分の身に二か所に結び付け、宝剣を腰に差し、神璽(しんじ、八尺瓊勾玉とされる)を脇に挟みんで出で立った。

先帝はいずこへと仰せになったが、弥陀の浄土へと我が君とて波の下へ沈み給えるとして、

今ぞしる身もすそ川の御ながれ

波の下にもみやこありてや

悲しきかな、無常の風、忽ちに花の姿を散らし奉る、

いたわしいかな、分断の荒き波、忽ちに玉体を沈め奉る、

昔は万乗の主(天皇のこととされる)として、殿を長生と名付け、門を不死と号されたが、

雲上の栄花尽き果て給い、海底に沈まれ給う。

 

女院(安徳天皇の生母)これをご覧になり、焼き石と硯箱を左右の袖に入れて一所に入られた。

判官(義経)の郎党に渡辺右馬允眤(うまのじょうむつる)が熊手に掛けて引き上げ、小舟に乗せて漕ぎ去った。

 

大納言典侍殿、内侍所(ないしどころ、八咫鏡とされる)を取って海へ入ろうとしたものの、衣の裾を船端に射付けられて引きもかなぐりもできず、内侍所を押さえられ、うち伏せられた。

斎院次官(斎院司(京都賀茂神社の斎宮の事務)の次官(長官の次)らしい)が来て小舟に乗せて漕ぎ去った。

これを始めとして女房たちは我先に入水したが、入ろうとする者を取り押さえ、入った者は取り上げられ、取り上げられた女房のわめき声はいくさ叫びにも劣らず、天も響き、海中も響くばかりであった。

 

先帝御歳のほどよりもおとなしくこえさせ給い、御姿いつくしく、御すがた髪もゆらゆらとして御肩すぎ、せ中にふさふさとかからせ給いたり。

御面影いつの世まで忘るべきならねば、人々女房たちも泣きかなしみ給うも理(すじ)なり。

 

門脇中納言敎盛、修理太夫經盛兄弟二人、鎧の上に碇を負って一所に入水した。

 

内侍所の入った御からびつのくさり、かなくりからげを切って、武士が開けようとしたが、忽ちに目くれ鼻血を出した。

平大納言時忠生け捕られてからから言うには、あれは内侍所にわたらせ給う物であるぞとのたまった。

九朗判官あらかたじけなやの御事や、そこをのき候へとのたまへば、武士ちりぢりにのきける。

判官平大納言に仰ってもとのごとく納めた。

 

(中略)

 内侍所と神璽が都へ到着後の記述。

 

内侍所と注の御箱が戻ってきたのはめでたいが、宝剣は失せてしまった。

神璽を注の御箱というが、海上に浮いていたので常陸の国の住人片岡太郎經春が取り上げたという。

 

神代より伝わる霊剣が三つある。

草薙の剣、天蛇斫剣(あめのはばきのつるぎ)、十握剣(とつかのつるぎ)である。

十握剣は大和国石上布留の社にある。

天蛇斫剣というは、もとは羽々斬の剣といい、この剣の上に当たる物の、自ら斫れないということはなかった。

それで利剣(りけん)ということから蛇斫の剣と言い伝えられている。

この剣は尾張国熱田宮にある。

草薙の剣は内裏にあり、代々の御門の御守であり、すなわち宝剣というはこれである。

 

(中略)

 

スサノオがヤマタノオロチを退治した場面が語られる。

特記事項としてオロチのために準備した酒船の底には、オロチの胴体の上に立ったクシナダヒメの影が映っており、オロチの背中は苔むしていろいろな木が生え、目は日月の光のようであった。

スサノオは十握剣でオロチを切り刻んだが、尾は切れなかった。

尾の中に剣があり、これが神剣である。

則ち天照大神に獻られたもので、天岩戸に閉じこもったとき、近江国の伊吹山に落とした剣であるといい、伊吹大明神というのはこれである。

 

(中略)崇神天皇や伊勢神宮の遷宮、ヤマトタケルの逸話が語られる。

 

宝剣が見つからないのは、スサノオに討たれたオロチの霊剣を惜しむ心強く、八頭八尾を票木として、人王八十代後の八歳の帝となって、霊剣を取り返して海底に入られたといい、九重の淵底の龍神の宝となったため、二度と人間には返ってこないのも理であるといわれる。

 

これは難しいか。

 

大きな点だけ簡単に。

二位の尼は草薙の剣を腰に差し、神璽を脇に抱え、八歳だが大人に見える安徳天皇を体に結び付けて入水したとなっている。

神璽というのは神輿である。

二位の尼は年齢は59歳と思われるが、それ以前に巨人でなければ脇に挟むなんてのは不可能である。

これは浦島太郎の玉手箱も同じで、この箱のモデルは産屋や船であるため、言わんとするところは別にあるのではないか。

これは内侍所も同じでこちらも神輿であり、これを抱えて入水しようとした大納言典侍も女官であり、無理がある。

この内侍所を開けようとした武士が目鼻から血を噴き出したが、二位の尼や女官は何ともなかったわけである。

最近の天皇崇拝論からいえば、この記述に疑問を持って当然ではないか。

女性天皇は遺伝的に無理(YAP遺伝子がないと三種の神器は扱えない)という主張もまったく通用しなくなるのではないか。

さらに、二位の尼の姿は天照大神の誓約(うけい)の時の姿である。

よって安徳天皇はスサノオを演じており、どちらも男女を入れ替えての誓約だった。

その安徳天皇はヤマタノオロチであったとされており、それは伊吹大明神でもあるとなっている。

これは平家物語からはそれるが、伊吹大明神の息子は酒呑童子である。

やはり酒を飲まされて首をはねられている。

実は安徳天皇がヤマタノオロチであるというこの暗号、妙なルートからその情報が表に出てきたのである。

続く。