自信はないけど役立ちたい

 日本の若者は自己評価が低く、将来を悲観している―。

日経2014.5.26





内閣府が世界7カ国の13~29歳の男女を対象に実施した意識調査結果で、こんな傾向が

鮮明になった。一方、「自国の役に立ちたい」と考える若者の割合はトップだった。社会貢献したいのに自信が持てない日本の若者の姿が浮かび上がった。

 調査結果は6月に閣議決定する子ども・若者白書に盛り込まれる。

 2013年11~12月に日本、韓国、米国、英国、ドイツ、フランス、スウェーデンでインターネット調査を実施し、各千人程度から回答を得た。日本では1175人が回答した。

 「自分自身に満足している」と答えたのは1位の米国が86・0%、6位の韓国でも71・5%だったが、日本は45・8%と著しく低かった。「自分には長所がある」と答えた割合も日本は68・9%で最下位。他国は93・l%(米国)~73・5%(スウェーデン)だった。

 「自分の将来に希望を持っているか」と尋ねると、日本で肯定したのは61・6%。40歳になったときに「幸せになっている」と思っている人は66.2%でいずれも最下位だった。

 「自国のために役立つことをしたい」若者は、日本が54・5%で1位。特に10代後半から加代前半が多かった。一方で「自分の参加で社会現象が少し変えられるかもしれない」と前向きに考える日本の若者は30・2%と他国より低かった。

 日本の若者に自国で誇れるものを複数回答で尋ねたところ、治安の良さ(57・2%)が最も多く、歴史や文化遺産(52・6%)、文化や芸術(41・2%)と続いた。 

内閣府は「若者の自己肯定感を育むため、家庭・学校・地域が一体となって子どもや若者を見守り支える環境づくりを進めるべきだ。

役に立ちたい若者には、具体的な社会参加に関する教育も必要」と分析している。




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この記事を読んで、私は自省的である若者を、やはり日本人だと思えた。
この傾向は若者だけではなく、日本人にはつねにある傾向だと思う。そして、世界の国々の人々との違いであって、決して否定的に思うのではなくて、肯定的に評価すべきなのだと思う。
内閣府の役人は、役人根性で世界と比べて同じ尺度で競うことを考える。
本質的に、日本文化を生み出した日本人の、世界とは同じでない、異質性に気づかないといけない。
もし、自己満足が世界一の数値になっていたら、「自省し」「自己を省みる」態度は生まれてこないし、社会に対して疑問を抱くこともない。つねに「自分のいたらなさ」=「謙虚な態度」を示しているのが、自己満足の数値の低さであり、同時に将来への期待度についても謙虚な態度だから低いのだ。これは「Kaizen」に繋がる態度だ。
この分析は、「社会貢献をしたいけれど、自分はまだ十分ではないし、はたして将来思うようになるかわからない」という極めて当たり前の日本人の思いを表現したにすぎない。
とても健全である。
つねに自己満足しているのは、「独善的に」陥りやすく、自己中心的だ。欧米の若者と韓国はその傾向がある。ここに中国が加われば、韓国と同じ傾向を示すだろう。アメリカ人の態度も横柄さに繋がるし、欺瞞も繋がる。
日本人の若者のみならず、我々に同じ質問をされても、おそらく同じような回答傾向になるだろう。もし、自分の自己満足度が低くても、将来への期待が低くても、日本人は自分を否定しているわけではない。むしろ自分について不安はあっても「でも頑張る」というある種の「自信」をもっている。日本人が自分の「満足度」「未来への期待度」が欧米並みになったならむしろ要注意である。なしとげる「自信」を持つから、謙虚であることが必要とされるのだ。日本人における<謙虚さ>は<自信>の裏返しでもある。
「社会に貢献する」という数値が高いことは、日本人が生まれながらにして「他者を思いやる」という感情を強く持っていることで、それは自己中心的な情感とは異なるものだ。
韓国は自己中心的で、他者を省みる傾向が低い。
北欧の国の「社会主義的」傾向と似た傾向だ。
よく言われるように、稲作文化と小麦文化の違い。稲作文化は「実るほど頭を垂れる」が、小麦文化は、「実るほど頭を立てる」のだ。
韓国は、稲作地帯にありながらそういう文化を作りえなかった。小麦文化に蹂躙されてきた結果だろう。
この調査を、否定的には捉えない。
日本人はつねに、「自己」と「未来」に対して<謙虚>であり、「社会に貢献」する意欲をもっている。まさに<日本人>そのものの姿を描き出している。
いま、企業活動においても世界各地で貢献しているし、若者も昔のように大仰にではなく、さりげなく「みんなのために」生きている。
あとは社会の制度の問題だ。こういう若者が力強く活動できるような場を、また情報を提供できて、社会全体でバックアップできる体制を作ることだ。
いま、世界はやっと「日本人」が作り出している「文化」を理解し始めているし、日本人を理解できるレベルになってきた。それは逆説的に「中国」という国の存在が明確になってきたからこそ、「日本」という「文化」が見直されて、そこに住み、そういう「文化」を作り上げてきた「日本人」が見直されるのだ。
<安全>という価値が、日本ほど行き渡っている国はない。<清潔><自然><歴史的遺産><おもてなし文化><食文化>など、いまや世界が日本から学ぶ時代になってきているのだ。
それでも、「われわれは満足していない」のは、もっと「なすべきことがあるのではないか」「もっと努力しなければならないのではないか」という<自省>に突き動かされるから、いつまでたっても<満足>はしないのだ。ある意味で、日本人は世界で一番、自分に厳しい民族だといえるかもしれない。
社会貢献や、他者に対して何かをなし終えて、初めて「よかった」と満足を得られる民族なのだといえるし、そういう文化風土に育っていること、若者が欧米風な「自己主義」「個人主義」に陥っていないことに、むしろ高い評価を与えることができて、未来への期待が持てるのだ。
見方をかえると、日本が大東亜戦争末期、特攻隊という悲愴な歴史を持つけれど、これは、現代も受け継がれていると見ていい。そいう精神構造は、善悪・良悪を超えて我々の根底にDNAとして受け継がれているものだ。
日本人の本質は、「他者のために自己を生きる」というマインドだ。
それはささやかに「妻」であり、「子」であり、家族であり、村・町、であり、国であり、貧しい人びとであり、世界へと向けられていく。
おそらく、こういうオープンマインドを理解できるのは、世界の多くの国の人々は理解できるだろうけれど、物事を全てお金で考える民族には通用しない。
日本の若者たちに世界は大きく開かれている。ただ日本人は一匹狼的に行動するのは苦手で、チーム行動が得意なのだ。だからこのチーム編成とチーム行動を取れる仕組みNPOなのだ。国や地方行政がそれらをサポートする、そういうマインドを共有して欲しいと思う。
日本の未来は決して否定的なものでなく、むしろ<ライジング・ジャパン・アゲイン>が二十一世紀だと思う。