4世紀: 儒教の神秘主義と両班階級に賢者の様な性質を求める事

19世紀に儒教はおそらく合理的な進歩を遂げるよりも、より教授主義的になり、庶民の呪術や魔法と結びついて、変形していったかもしれない。

・・・(色々な病は)みな魔鬼が及ぼすものです。薬ではダメです。イエスの名で鬼神を追い払えばすぐに治ることができます・・・・(註1)

註1)古田博司著「朝鮮民族を読み解く」ちくま学芸文庫

 

これは韓国のキリスト教の説教の一部だという。要するに儒教もキリスト教も論理的な合理性を突き抜けて、朝鮮式に変型されて似て非なるものになっている例です。

李朝によって「事大主義」化した原因は、中国を中華文明の元と考え、自らを「野蛮」と捉え、それが「文化的になる」のは中華の教えをよりよく守ることで達成されると考えたのだ。いわゆる「礼」をもって尽くすという儒教的思想だ。

本題に戻ると、上の地図で中華文明の周辺国のなかで、儒教を国境にまでしたのは挑戦だけなんですね。どうしてそんなに中国に擦り寄るようなことをしたのかと思ったら、先の古田氏の本のなかで、明朝の冊封制度のなかで、朝鮮の使者への扱いが、琉球の死者よりも低く扱われ、朝鮮服も許されず、籠も許されずという扱いだったので、もう相当落ち込んで、自分の国は中華の文明に習って朱子派の儒教を国教にまでしているのに~と、悔しがってコンプレックスを抱いたのだそうです。文明国と、野蛮国というように見られているわけですから、朝鮮は文明の中華思想の儒教を学び実践して、文明国になってやる、と考えたのです。

それで、朱子派の儒教の礼教を規範にして、守らないものは刑罰だ、と言って厳しく実践することで自らを「東方礼教の国」と自画自賛する。なぜそのような礼教を守らなければならないかというような原理的なことを考えることなく、真似する、形から入る思考がこの時からはじまったかもしれない。

中国が文明国で、自らはその礼教を実践している偉大な国だと思うのです。

満州民族が明朝を滅ぼして清朝に変わると、自分らは明の文明の後継者であるというように振舞って満州族を馬鹿にするから、2回もフルボッコされて属国となる。

古田氏の説明によれば、文明コンプレックスが文明を学んで実践しようと考えたという。

これは明治維新の日本も同じことをしたわけだけど、どこか違う。

朝鮮人って、自分勝手な判断していませんかね。

扱いが低いのはなぜかともし、皇帝に伺ったなら、野蛮国ではなくて、属国で家来だから扱いが違うとか、野蛮だからとか、なにか言われそうなものだが、それを問わずに自分で判断して行動する。

それも、儒教には孔子派や孟子派もあり、本来なら本家の孔子派を学ぶべきなのに、朱子派にしてしまう。本流ではなくて傍系だ。韓国に孔子廟がないかも。ガイドブックにないから。

それで自分で自己評価して喜こんでるわけで、どこか可笑しい。他人の評価ではなくて、自分本位なんだな。

まあ、ともかく冊封体制の中での劣等感が、儒教の厳しい実践で小中華を気取ることにしたわけだ。だれも認めていないのにそう自認する。そしてそのプライドで他者を見下す。とくに日本に対しては礼教をわきまえない野蛮人だ、と決め付けるのだ。

要するに、事実の認識の仕方が、最初から偏ってないか。

自分の基準をもっていない。自分の価値基準があれば、儒教との需要においてもその判断において選択しただろうに。(つづく)