文明論について福沢諭吉はいまから一六〇年ほど前に、日本の歩むべき方向を、多くの人々に説き、西洋文明を取り入れることを奨めた。

坂本龍馬らが盛んに読んだ、万国公法という19世紀の世界の約束事を書いた本は、文明国と半文明国と未開国(野蛮国)とに分けて、日本は文明国とはみなされず、不平等条約で苦しむことになった。

その後の日本の明治維新以降の努力は、戦後復興以上に日本社会に変化をもたらした一大革命であったと言える。ところがその革命たるや「ご一新」の名のもとに、武力闘争としての変革では世界でもっとも死者の少ない革命であっただろうと言われる。あの倒幕運動での戦争で、死者八千人という数字だと聞く。中国の革命のとは比較にならないだろう。

それでいて日本は文明開化・文明の精神の革命を成し得たと言えるだろうが、中国は結局、その革命と言いうるところのものを得てはいないと言えるだろう。


明治の始め、福沢諭吉はこの文明論のなかで文明について規定している。

<(人の)安楽といい高尚というものは、まさにその進歩する時の有様を指して名づけたるものなれば、文明とは人の安楽と品位との進歩をいうなり。また人の安楽と品位とを得せしむるものは人の智徳なるがゆえに、文明とは結局智徳の進歩というて可なり。>P61

環境破壊による空気の汚染や、河川の汚濁による飲料水の不安など、また政治的不自由や、刑罰の不透明性や、汚職の横行などは、ここでいう文明における<安楽>と<品位>というものとははるかに遠いものと言えるだろう。


福澤は西洋の文明といえど、西洋諸国においても不徳の所業も多く、またアイルランドの人民のようにイギリスに痛めつけられて生計に困ってる人たちも多いではないかという批判もあるけれど、文明はまだ究極に至っているわけではなくて、<今日の文明はいまだその道半ばにもいたらず>として、さらなる進歩が必要だと説く。

さらに、すべての政府は、国の文明に<便利なる>ものであれば、政府の体裁は立憲でも共和でも問わず、その実を求めるべきだという。

ここで福沢諭吉はとても大事なことを続いて述べている。オーストリアやイギリスやアメリカに触れた後に<故に、オーストリア、英国の政を良とするも、これがために支那の風を慕うべからず。・・・名を争うて実を害するは、古今にその例すくなからず>p64


そして、支那の根本的な問題を指摘する。このくだりはとても重要だと思うし、当時の人々は今の我々よりも儒教について親しんでいたのであるから、その風を慕ってはならないという根拠は、当時の人々の受け入れる論理でなければならない。


<支那日本などにおいては、君臣の倫をもって人の天性と称し、人に君臣の倫あるはなお夫婦親子の倫あるが如く、君臣の分は人の生前にまず定めたるもののように思い込み、孔子のごときもこの惑溺を脱すること能わず、生涯の心亊は周の天下を助けて政を行うか、または窮迫の余りには諸侯にても地方官にても己を用いんとするものあればこれに仕え、とにかくにも土地人民を支配する君主に依頼して事をなさんとするより外に策略あることなし。

畢竟、孔子もいまだ人の天性を究る道を知らず、ただその時代に行われる事物の有り様に眼を遮られ、その時代に生々する人民の気風に心を奪われ、しらず知らずその中に篭絡せられて、国を立つるには君臣の外に手段なきもの臆断して教を残したるもののみ。

もとよりその教に君臣のことを論じたる趣意はすこぶる純精にして、その一局内にいてこれを見れば差し支えなきのみならず、いかにも人事の美を尽くしたるが如くなりと言えども、元と君臣は人の生まれて後にできたるものなれば、これを人の(本)性と言うべからず。人の性のままに備わるものは本(もと)なり、生まれて後にできたるものは末なり。

事物の末について議論の純精なるものあればとて、これ(教)に由ってその本を動かすべからず。>


<君>と<臣>との関係は人と人との関係である。それが人の本性であったら、<世界万国、人あればみな君臣>でなければならいという理屈になってしまう。そんあ事あありえない。

<天に二日なし地に二王なしとは孟子の元なれども>現実に王様のいない国もありとして、もしこの孔子や孟子の言うとおりだったら、どのように世界の人民を見たらいいのだ、と否定する。

まさに儒教の教えは本末転倒の教枝というのだ。

福沢諭吉は人の<本性>とは何かを問い、もし。孔孟の教えにそうならば廃藩置県などできなくなるではないかというのだ。文明の発展にとって便利なように、政統を変更するのが当然で、政統を固定してしまえば文明の進歩に便利な変革などできなくなると指摘する。


この儒教的教の否定こそ重要だと思う。

<第3章文明の本旨を論ず>の最後に次のように論じる。

<政治の良否を表するには、その国民の達し得たる文明の度を測量して、これを決定すべし>と。p72

彼は未来について、もし文明が極度に高まれば、<至善至美の政治>が行われて、<政府も全く無用の長物に属すべし>と言う。

また<かつ政治は独り文明の源にあらず、文明に従いてその進退をなし、文学、商売などの諸件とともに、文明中の一局を働くものなり>として、どのような文明を獲得するかが問題なのだという。

文明の極に達するまで、常に道半ばの過程にあるのだという。


中国がどのように経済発展を遂げたとしても、その風を慕ってはいけない。我々は文明の進歩を目指し、人の本性たる幸福と品位を実現するために豊かな思想を持たねばならない。ここでは論じられていないけれど、人間の本性において<自由>というもの、今で言うならば<人権>から発想された政統が文明の進歩にとって<便利=有益>なのだと言っているように解釈できる。


支那の孔孟の思想の限界を指摘したことの意味は大きい。

何度も繰り返すけれど、このような思考が定着せずに、孔孟の思想を慕っていたならば、今日の日本はなく、朝鮮と同様に、わけのわからない専制的国家形態を求めただろう。

日本固有の天皇制度を維持することは、権威と権力の分化を与えて、その専制的国家となる事を防ぐ。

天皇が昭和の時代にあって、自らが権威たらんとし、権力を国会と政府に預け、天皇制の利用を誤ったことが国民を不幸に貶めた。しかし、多大な犠牲を払って日本人は、この福沢諭吉が目指すような文明の国への道に戻ったのだ。


日本人の多くは中国の古代の文物を尊重すること、また自然の姿を素晴らしいと褒めるだろう。本来の友好的関係を持つならば、中国にたいしてもその歴史において敬意の意を抱き、親しく交流することを願うであろう。しかしながら、その政治の関係の交わりのない状態を維持すれば、近くて遠い関係となり、その文明の行く末を見守るしかないだろう。

160年も前に、日本が文明の道を求めようと決意したときの日本の知識人の確かさを、今更ながら素晴らしいと驚嘆する。

これらの先人の開いた道を、日本人として趣味続けたいと思う。それにはまだ本書の内容をすべて総括したわけではないので、最後の<第10章自国の独立を論ず>について改めて勉強しなければならない。