車を運転しながらFM放送で放送大学の講義を聴くのが好きです。ロングドライブの時は結構勉強になる。土曜日には大学院の日本の社会保険の制度について、今日もその一部の講義、その後に生涯学習についての教育論。

私は頭がいいから聞いてるときはいいけど、ことごとく忘れてしまう。ただ相対的にざっぱな印象だけですが、日本社会保険制度はいろいろ問題はあるけれど、若いうちから保険金を支払うことの重要性とか、それから社会保険の考え方が、個人主義的になってきていること、それとロングライフを前提として設計されていて、文句も言うけれど、さまざまな英知が向けられていると思えた。一つは個人の意識的な選択が重要であり、老後に対する社会的なフォローの制度が施行されていることなどが理解できる。やはり日本の行政・市民社会は成熟しつつあると思える。残念ながら詳細なことは忘れている。ただ消費税を上げて社会保険制度をもっと国民が自覚的に形成しないといけないと思った。

今日は、家族の変化についての話を聞いていて、現実的に封建的な家族制度が完全に破壊されていって、新しい考え方での家族制度が形成されていると思った。

つまり家庭での女性の役割の変化です。女性は子供を持つと家庭に縛られるということは当然という考え方が支配的であった。しかし、いま女性はセックスに縛られた生き方ではなくて、男女平等の世界を前提に子育ても、家庭に会っては男女共同の分担で、また子供の育児は母親の役割から、社会的な役割として保育園・託児所などの制度、子育てからの女性の解放、つまり人間として男性と同じような生き方の選択が可能となるような社会が、いまのところ無意識的に形成されている。


伝統的な<家族>のイメージと、宋ではなくて人為的な<家族>をイメージしてみる。男と女の二人による最小限の社会、つまり血縁関係がない共同体があって、そこに子供が生まれて血縁関係の<群れ>ができる。猿の<群れ>と同じ。だけどこの子供が血のつながりのない子供であっても<家族>は成立する。子供は群れの再生産のために必要です。しかし子供にとって大事なのは、血縁ではなくて<愛情>の体験なのだ。<愛される>という体験が成長に大きな役割を果たす。

中国語には<社会>(ソサイアティ)という言葉がなく、これは日本語なのだ。中国で社会に相当する言葉は<群>である。つまり<社会>と<群>の違いに西欧思想と中国の思想の違いなのだ。

市民(シビル)という概念が中国では<公民>と訳されて、否定されている。市民の作る共同体=ソサイエティと<人民>の<群>の違いは、<自由をもった自立した「市民」>がいないことだ。


日本は明治の自由民権運動以来、主権在民の意識による<市民>意識は潜在していて、それが戦後表面化してきて、<個人主義><自由主義>を前提にした<社会>形成に向かっていると言える。

男女平等=女性の性からの解放、伝統的な男女観から平等な<人間>観へ。

はっきり言って、日本は北欧型の社会形成に向かっているけれど、まだ自覚的でないのです。ともかく歴史の流れに押し流されるように変化しているけれど、私には、日本がどこへ向かっているか見えてきた。


「教育制度」の問題が講義されていて、今は教育すことよりも、「学習権」が大事に言われてきているという。つまり<教育を受ける>の権利ではなくて、生涯学ぶことのできる<学習権>から教育が見直されるという。つまり、学校だけの教育だけでなく、仕事を通じ、さらにその後にも<自己達成>のための学習が大事だという思想に基づいて、大学での公開講座や、その他の機会が社会的に作られることによって、教育が単に知識を得るとか、就職のためとかいう目的のみではなくて、人間が個々に<尊厳>のある一生を終るためには、絶えず変化する社会の状況を知る学習が必要だという。それを社会の仕組みとして造り出す方向に向かっている。


確かに北欧社会のような状況になるまでにはまだ長い時間がかかるだろうけれど、日本が向かおうとしている国の形が意識されるならば、その実現は早いだろう。また意識的に、それ以上の社会を形成していくかもしれない。地球上には絶えずイノベーションを繰り返す社会と、伝統的な価値体系にしがみついていく社会やその中間的な形が併存していくだろう。

猿を筆頭に動物にはそれぞれの<群れ>があり、協同で生きているが、人間がその生物学的な特性から遠く離れて人間らしく<自覚的に生きる社会>を作り出すことがイノベーションであろう。

伝統主義的な生活様式を肯定するのは、動物的な生き方を模範とするもので、そこには進歩はなく、停滞的な普遍の形だ。

日本は絶えず変化していき、人間が個々にその自己実現の図れる社会を生み出すだろう。ただそれはその方向を意識しないと、伝統的価値の磁力にしよせられてしまう。日本の場合は儒学であり、その根底の儒教である。これをどれだけ除去できるかが問題になるだろう。