この8月に中国に関する多くのブログを書きました。

多くの問題を中国と韓国と持ったまま解決することはないでしょう。その根源を考えていくと、どうしても1800年代の西欧文化との衝撃に行き当たるわけです。

西欧文化との衝撃というのは、アジアにあっては中国的世界観と、専制政治システムと儒教的思想で構成された秩序をもった世界が、西欧的な価値観と衝突するわけです。

中華世界秩序は、中国と、朝鮮、日本、ベトナム、カンボジア、ビルマなどに大きな影響を与えて一つの共通する世界を作っていたと思います。中国の隋唐から始まってどの程度の文化圏を構成下かは調べないとわかりませんが、漢字を遅くまで使用していたのは、朝鮮、日本、ベトナムです。

東南アジアは15世紀ころから西欧の植民地になってしまって、中国の秩序とは切り離されていきました。


19世紀における文化の衝突とはどのようなものだろう。中国的世界の秩序と西欧の近代的秩序の違いを考えてみる。

           中華的文明          西欧的文明

支配・・・・・・・・・・・専制支配・・・・・・・・・・・・・市民社会に基づく帝国支配

                           (主権在民の確立)

            人治主義・・・・・・・・・・・ 法治主義

           家産制的官僚制・・・・・・・近代的専門職官僚制度

経済制度・・・・・・・家産制的経済・・・・・・・・・資本主義経済

            産業革命前・・・・・・・・・・産業革命

思想 ・・・・・・・・・自由の制限         自由・自立

共同体の形態・・・ゲマインシャフト ・・・・ ゲゼルシャフト

           (地縁・血縁共同体)   (社会的共同体)


こうしてみたときに日本の明治維新がめざしたものと、中国の辛亥革命期以後の変化の違いが見えてくるだろう。アジアの多くは、中華的文明を依然として抱えているだろうけれど、日本が明治期に行ったものと、維新でめざしたものが、全く違うということに気付くのではないだろうか。


日本は天皇を当時の西欧諸国の皇帝になぞらえて、天皇制を軸にして中華文明的な江戸幕府制度、これは本来の天皇制の秩序も含んだものを、まったく西欧的なものにすべてを変えることに集中したのだ。だからその西欧的文明への徹底ぶりがそこで行われた。

ここで重要なのは西欧の思想の根源をなす「Liberty」の思想を理解し、取り込めたことだ。

中国はこの一点において先駆者は理解していたかもしれないが、徹底できないで終わったことだ。


日本と中国の文明的な違いは、西欧文明の衝撃を、その根底における思想の部分において受容したことだ。儒教的影響は武士道という世界で日本的にアレンジされて受容され続けた。これは日本人の行動の規範になった。

ところが中国では、この儒教の受容はその後毛沢東の革命で否定されていく。この儒教の受容の比較も面白い課題だと思う。

武士道に昇華した倫理規範となった儒教的要素は日本人の行動規範となった。当然それは儒教のみならず仏教も組み込まれているもので、日本人が両者の教えを止揚して作り出したものなのだ。
明治維新で、西欧の<自由主義>が市民層に浸透する。<自立する心>は立志という形で経済や政治、文芸・芸術、学問の世界で開花する。

ここで強調すべきことは、当時西洋かぶれと言われるほどに、西洋の思想を理解し、その文明に憧れたということだ。それが大きなうねりとなって国を動かしていった。

この西洋文明の受容の徹底ぶりは、日本以外には最初はロシアだが、トルコにその例を見るだろう。トルコの革命が<自由主義>をどこまで理解したかは不明だが、あのアタルチェクの革命だろう。これは別テーマ。


日本がなぜ、儒教の国韓国と、また再び儒教価値に帰りつつある中国とソリが合わないかというのは、歴史的な侵略だ、植民地だと言ってる国との徹底的な違いは、この西洋的価値観(文明)の受容のてっ程度の違いにある。二国は表面的には近代的にみえても、その根底において古い文化価値観を断ち切れていないから、それらを客観的に見ることもないし、西洋文明を対立軸で見るから、それらを体内に入れた日本人とは将来的にも平行線をたどるだけである。


そのような見地に立てば、日本が認められる行動は、西欧文明的メジャーである。我々はすでにそのメジャーで行動しているからだ。

他の国々が、中国と韓国と違う行動原理で動いているのは儒教的原理から脱しているからだ。植民地時代の結果、儒教文化の影響を断ち切ってきている。ただ台湾などは、再び儒教化されると、中華的秩序に復してしまう可能性はある。

庸は<Liberty>の言葉が受容されて、政治体制や社会に反映されて行くかどうかという点にかかる。

日本は、西欧の行動基準、<Liberty>をアジア諸国と共有できるように行動し、その文化圏のなかに自らの立ち位置を求めないといけない。まずこれが基本だ。

そうでないと、市民社会を失えば、<主権在民>の原理、<法治国家><計算可能な経済制度>をも失うことになるからだ。

中国は中途半端な近代化革命におわり、その後の共産党政権は専制政治で<学問と思想の自由>を封じ込めてしまった。ここから展望する中国とのお付き合いはとても難しい。今の共産党政府の言動はおそらく、過去の王朝の歴史の中でいくつも見られるのではないだろうか。

それともう一つ、同じ儒教と仏教の影響下にあって、日本は<武士道>というエートスを作り上げた。これは、実践倫理として経済、政治、スポーツの世界に置いて、また日常の世界において日本人の<規範なき規範>となっているものだ。これに類似するものは西欧の騎士道精神と<資本主義の精神>であろう。その人間の生活行動の規範となるものを中国は造り出していない。彼等の行動規範は<営利>である。手段は結果が正当化するという論理。正義も理も仁もない。勝ったもものが正義であるという理屈が行動規範になっている。

西欧文明も、倫理性をこえて彼らの言う<文明国>以外ではその理屈で通してきたと言える。

今、中国がとても華々しいのは、遅れてきたからに過ぎない。パワーの空白に躍り出たから華やかに力んで見せている。でも本当のリーダーにはなれない。

こういう文化的な側面から見て、両国との関係を眺めるならば、<冷たい平和>関係がいいだろう。日本は過去の失敗を今学ぶべきだろう。<近代化>を自ら求めないところへ手出しをしてはならないということだ。日本の近代化の成功が、中華的文明を明確に国民が断ち切ろうとしたことから始まり、戦争に負けて初めて達成できたのだ。その意味を近代化を求める諸国に伝えるべきだろう。


今後10年、20年以上、中国と韓国とは<冷平和>関係でよい。その思いで戦略をつくること、ただ武力衝突には備えるべきだ。

日本と中国・韓国問題は、単なる政治経済の問題ではなくて、21世紀の世界の動向を探る文明の代理衝突であって、<Liberty>と<エートス>をめぐる対立なのです。その意味で日本は妥協とか譲歩はあり得ないのです。生半可ないい子ぶった理屈は今後なしです。二国が歴史の中で作り上げてきた文明の英知に寄り添うか、そうでないのかは、彼らの判断するところです。


もっと大きな流れで見るとヨーロッパは16世紀から19世紀にかけて一大文明を築きあげてきましたが、5世紀を経て当時の勢いが失せています。アメリカも20世紀に輝きましたが、21世紀末まで持つでしょうか。ソビエトは70年でもとの位置に戻りました。中国のこの勢いが1世紀続くには土台が古すぎます。古い土台の上にあのような建造物を建てましたが、将来歴史的価値を持つでしょうか。


日本は現在の日中問題を文明の衝突ととらえて、100年のパースペクティブのもとで国の形、役割を考えましょう。なんせ平均寿命が80年とかになっているのですから。


先日難民高等弁務官を務められた緒方貞子さんの活動がNHKで放映されましたが、あの方も日本人の文化を体現された方だと思います。彼女の行動はまさに<武士道精神>そのもではないでしょうかね。強い心に敬服しました。