「中村正直と厳復におけるJ・S・ミル『自由論』翻訳の意味」京都大学 高柳信夫氏の論文
これはいい論文です。
厳復は中国清朝末から中国で活動した啓蒙的学者とでも言うべき有名な存在。
日本と中国の近代化の根源にかかわる近代における啓蒙思想の導入の歴史を明らかにする論文です。
ウェーバー流に言えば、JSミルの本が、日本と中国にどのように「翻訳」されて、それがどれだけ人々に影響を与え、その影響を受けた人たちがどのような行動をとり、歴史を作っていったのかという文脈につらなる最初の部分である。
行ってみれば「資本主義の精神」論文で、ウェーバーがルターの聖書のドイツ語への翻訳がどのように影響したかを解き明かした部分と重なって見える。
この論文で、日本の翻訳者の中村正直と中国の翻訳者厳復の翻訳の意図の違いが解明されていくのだが、この違いは、当時の日本と中国との歴史的背景の違いにも重なってくる。
どうか、一読していただきたいと思うのです。なぜ日本は維新後、また戦後近代資本主義を作り上げて行けたか、またなぜ中国の営利欲は、経済行為における倫理性をものともしないできたか。
それ以上に、日本は民主主義、主権在民を戦後自覚的に作り上げたのに、なぜ中国では自由な自治に至らないのか。
面白いのは中村も、厳もイギリスに留学した儒学者である。
中村は帰国後、キリスト教的な影響を受けて、儒教的発想から離れていくように見える。他方の厳h中国的事情から、儒教へ回帰する傾向を見せていく。
①訳者の西欧的啓蒙思想へのスタンスが儒居的解釈、アプローチから始まって、中村は転轍機によって線路を代えて、ミル本来の思想の背景に迫っていく。
厳は、中国的後進性のゆえに上からの改革を志向する方向へ向いて、「君子」の在り方、旧来の儒教に向いてしまう。
②「自由」の解釈が、中村は「自己自立」の<立志>の線上(自己の自由を可能な限り拡張し、最大限に自己の能力を発揮する)で捉えていくが、厳はa)他人の行動領域を侵さないという「自由の自覚的制限」とb)「自由」を「「恕」「絜矩」<専ら他者に対する自由の制限という側面>としてとらえた。
③「主権在民」の根源を中村はイギリスの王政から学んだが、厳はそこに言及していない。
④高柳が解釈する厳復の自由論の紹介は、儒教に対する教条的な解釈、批判の自由が行われないことに対して向けられていると指摘する。このことは今の共産党のイズムにも同様なことが言えて、今でも十分に有効な指摘と言える。
⑤中村は<人民>に読むことを望んで翻訳し、厳は一部の知識人を対象とした。
なぜ厳復が「自由」論をあえて意図的に読み替えているという説明は島根大学の李晩東氏の「近代中国の『自由思想』」を見てください。
中国は儒教的思想の引力が強すぎて、またその原理で動いていた戦前までの「忠孝」原理が、敗戦で見事に否定されて、それこそすべてにおいて自由な言動を獲得するに至って、その精神的支柱がいま再建中なのだと言えるが、それに反して中国は儒教的束縛から、厳復の時代はなおのこと、現代においても、文化大革命で破壊しつくしたように見えたけれど、再びその引力にひかれていくように見える。
この自由思想の中國における欠如の永遠的な問題はこれからもっと深めていかないといけない。
中国の現状をYouTubeなどで見ると、たしかに人々の暮らしぶり、外見はモダンになり、現代に見合った外装です。それはそれで喜ばしいことだと思う。
だけれども、彼らが西欧的な意味で<市民的自由>(シヴィリック・リバティ)を獲得できるかどうかは、まだ先のことで、この50年に及ぶ共産主義的ドグマがどれだけ学問と思想の自由を後退させているかに気付かない限るり、前進するのは難しいように見える。
<市民社会>と<人民社会>などと言いつくろっている限り、革命は起こらないだろう。あとは共産党自身が解党することによってもたらされるものがあるかもしれないが、予測もつきません。
日本と中国の<近代化>の根底にある相違を、高柳論文は解き明かしているように思う。