満たされなさから脱出する方法。
娯楽、趣味、希望の明日、それよりもっとずっと
近づいていってみよう。
 
欲求を見る。 

 
「お母さん。お父さん。
理解されたい欲求、認められたい、
丁寧に気持ちを汲んでもらいたい、
他の誰よりも、
愛されたい」
 
そんな当たり前で、しかも叶わない欲求を、ずっと抱えて生きて行く人達がいる。
 その連鎖を見ている。
 
お客さんにはいい顔するのに、
従姉にはもっと優しいのに
私の親なのに、自分が安心させてもらえない。
急かされる、理想を押し付けられる、当てられる、
 
満たされなさを抱えて、
向き合ってもらったことがない。
だから人に向き合う事が出来ず、
なのに求めてる。
どうしょうもない求める気持ちに突き動かされて、
してしまう物事に自分を責めたり相手に八つ当たりしたり
 

 

肯定されなかった人は肯定出来ない。他者も自分も。
最初はそこから始めるしかない。気が付く事から。
 
どれだけ否定しても、遠ざけたいもの程傍にいる。
それこそがギフト。
丸ごと抱えて、その今の在り方に降りる。
 
求める気持ちが道しるべ
強く反応する自分、嫌い、見たくない、何となく もやもやイライラ、そこに秘密が隠されている。
探検しよう。
微かな反応にもっと近づいていってみる。
 
社会の混乱、求める理想
理不尽さに強く反応する自分の気持ち
自分の中の消えない思い。
 
正義があれば悪が生まれる。それは一対になっている。
 
あれが悪だと示すことで、自分を正しい側にしたい衝動。
羨ましい輝く人を見ると、上手く出来ないナサケナイ自分を見る。
  
ヤジロベイの真ん中に立ち、振り子の両方を自分として抱き込む。
この強烈な嫌悪感を、高い場所から見おろす優越感を、
両方を 自分としてみる。

何より外側の理想は、どんなに追いかけても影。
本当の理想の正体は、外ではなく自分の中に。
 
そして、それを外側の現象が見せてくれる。
私達はその 外側の現象に 近付いていく。
 
それに反応する内側の自分に、近づく為に。
 
それが、プロセス。
 
 
   
何でこんな問題、
次から次へと気になる人の問題、
自分の日常にふりかかる困った現象。
全て違う問題が、同じもの事へと自分を駆り立てる。 

好きに近づき 嫌いに遠ざかり、
織りの様に、組み紐の様に、裏に表にあやなして
気付けば、
いつの間にか、その扉の前に立っている。
それが、自然の摂理。 
 
  
子を愛せない、パートナーのこんなところが理解出来ない、
親の、面倒な言動につい怒ってしまう。

相手を知りたかったら
自分を探究するのが近道なんだって
相手に反応する自分がある限り、まだ、まだここに見るべきものが残ってる。

相手を愛したかったら
自分を愛する事が近道なんだって、
見たくない自分、受け入れられない自分を、相手の中に見た時がチャンス!
  
見たくないものを観ていく
内側の反応を感じながらみていく。そうやって体の中に消化していく。
 
誰にも邪魔されない場所で、自分の為の時間をとって、
ちっぽけだと思っていた自分の小さなわだかまりから、辿って、辿って、

時には泣いて、喚いて、体をくねらせ、意味のないつぶやき、意味の解らないおかしな動きに身を任せて
意識的に狂い、
そうして、良し悪し、カッコイイカッコ悪い、体裁を突き破り
存在する感覚に開いてみる。 
 
この体の暴走を許してみる、危険のない様に片づけた場所で、
布団をぶっ叩いて、座布団を投げつけて、転がり飛び上がり、泣いたり笑ったり、鼻水たらして、

この頭をまったく使わない時間をとってみる。うるさい思考は放っておいて
体全部を、感じてみる。

何度も何度も訪れるプロセスを、受け入れた時、
訪れる力に入っていった時、
どんなに世界が変わるか、
その感動を見せたい!!
  
  
社会問題は、社会を糾弾するから変わるのではない。
環境問題は企業を、国の間違いを正すから変わるのではない。
相手を敵にして変わる物事は無い。
 
相手に自分を見て、そこに振り子の自分を見て、
その嫌悪感を、抱きしめて行くプロセスなんだ。
 
同じ構図を全てに投影する、
幾何学模様の様にパターン化している自分の世界観を
見つめて、
その感覚にもっと近づいていく、
もっと知り合い、愛着を持ち、
そうして、付き合い方を開拓する。
 
好きと嫌いは同じエネルギーの表裏。
好きな物事に向っていく時に超えていく面倒な物事の数々
嫌悪感から逃れる為に超えていく大変さ。
頭を使わずに感じてみる。
 
快に開く体と、苦しみの体感に入っていく体、
苦しみを排除するシーソーはもういらない。
やってみれば同じなのだ。同じ、自分の全体性を、受け入れていく力になる。

 
自分の壁を突き破る為に何をするのか、
必要に飛び込んでいく勇気、
命を、まるごと使っていくんだ。
それは自分を信頼する事であり、世界を信頼することでもある。

  
  
たった一つでいい。
無理だと諦めていた気持ちが変化した時の世界の見え方の変化を、体験したら、
生きている事の面白さを知るだろう。

  

頭では理屈は分かる、
どんなワーク手法にも、理路整然と論文が添えられる。
でも、生きるか死ぬか程違う、
体験って、死んでからは出来ないんだから。

  

ちっぽけな自分が、世界を変える事が出来るんだ、
大それたことじゃなく、こんな事で変わるんだって、
そのやり方が分かったなら、もう、恐いものはないだろう?
 
その時知るんだ。
幾重にも不思議に重なる、この世界の豊かさを、
 

私の中の貴方と出会い、
貴方という私を知りたい。

 

対する相手、企業、社会、国、憎むべきもの、愛すべきもの、
どこまでも、どこまでも同じ景色を変えるのは、
たった一つの命の使い方
 
決めるだけでいい。
そうすればプロセスは訪れる。
 
求める力さえあれば
私達は、まだまだこの世界の新しいページをめくることが出来る。

  

何年たっても、
どれだけ年をとっても、
一つ一つ、
終らせられなかった物事に出会い続けて、
 
これをやらなきゃ死ねないって、
人生に、
揺らされる
導かれる。
  
  
出会いたいのは本当の自分、
それは実はこの世界全体を知る事でもある。
 
自分の中に世界を見る事が出来る、この眼で見る世界が脳のスクリーンに写っている様に、
世界は緻密に、自分の中に映っている。
 
幾重にも重なった世界の見方。
その見方を、開拓するんだ。

 

相手の中に自分を探す。
人の数だけ? 数に惑わされて、見えなくなるものがある。
人の中の深みの層を知った分だけ、自分の新たな表現を、見せてもらって、
その彩の豊かさを知る。
  

 
それを知りたかったんだって。
世界は面白いところだと、
生きてみる価値があるんだと知りたかった。

 
全体の中に私があり、私の中に全体がある。

それを

実感してみようよ!