人の本能的欲求に対して、どう、その人の人生が作用するか、
そこに、その人の生き様が出るんだと思った。
 
食欲や性欲等、抗うしがたい、どうしょうもない欲求に対して、
もし、そういうものを盾に取られて、
落し入れられる様な事が起こるならば、
そういう力が、自分を大きく育てる方ではなく、滅ぼす。又は試す方に作用していくなら、
きっと、自分の生き方が、人や世界に対し、その様に対してきたことの結果なのだと思う。

もし、そこに満足出来る未来を歩む力が無ければ、
愚痴をこぼす日常を許しているなら、
それが良い悪いではなく、
そういう人生を選んだということなんだろう。
  
いつでも、その気があれば変化させていける。
勿論、時期はあるんだろう。
昔のでっち奉公の様に、人生の中で、年季が明けるみたいな時の開き方ってあると思うけれど。

 
世界に、他者に、自分に対し、誠実に生きて来た自負があるなら、
そこに不安を抱く必要はない。
堂々、欲しい未来に手を伸ばしていけばいい。
 

そんな風に思えたら、
自分の人生をちゃんと自己責任で背負う事が、重くない気がした。